『検証、妄想、勘違い』
第1話から読む2000年代に入り、前職で少しずつ洋服の作り方を教わりながら、アメリカの総合衣料に対しての理解が深まっていった。
会社の中には複数のセクションがあり、様々な国や地域のカルチャーを纏った服があったので、よりアメリカの服を意識しながら、他との関連性を模索していた。
クラシコイタリア(クラシックイタリアーノ)のルーツは、イタリア人の英国への憧れから生まれた説や、ブルックスブラザースには満足できないアメリカ人が、ブルックスブラザースのスタイルでもっと良いイタリア生地でイタリアの手縫いの注文服を求めた説など聞いた事がある。
90年代中頃、ミラノのモンテナポレオーネ通りにあったエトロは、まるでイタリア版ラルフローレンといった内装とコレクションだった気がする。次男キーンがデビューする直前だったのかな?
ラルフローレンと言えば、ミラノやフィレンツエでも直営店は無く、メンズショップのセレクションブランドの一つで、ポニーマークが入った商品が多かった。
ローマの休日という映画によって、多くのアメリカ人観光客がイタリア、ローマを訪れたというのは有名な話。第2話で書いたグレゴリーペックのスタイルを仕立ての良いイタリアの職人がアメリカ人向けに縫製するようになっていったとしたら、、、、妄想は尽きないね。
アメリカンからイタリアン、イタリアンからアメリカンへとファッションの流れが巡ってくる感じと、50年代と80年代がリンクしている妄想に目覚めたのも前職のお陰かな。
80年代のファッション雑誌を振り返ってみてみると、ニューヨークのあるスノッブなショップでスタッフが着用している服が50年代のアメリカ服で、当然肩も大きいし、パンツの股上が深かった。かたやアルマーニの影響だったのか、アメリカンブランドがテロテロとしたイタリアンな素材を使ったり、イタリアンブランドが作るシャツが50年代のアメリカンなシルエットだったり、アメリカとイタリアが行ったりきたりしている感じが面白かった。
昨今のゆったりしたシルエットの源流は、元々ゆったりした50年代のアメリカ古着を着る感覚。
イタリアのフィルターを通したアメリカの50年代風の服が80年代に世に広まり、それを感じとったアメリカンデザイナーがそのテイストをイタリアンな風味を残しつつ再現。アメリカの市場では大量消費された筈。そんなアメリカの市場の大きさ故に、その後アメリカンのファッションウイークがしばらくの間、マーケティング主義と呼ばれていたのかもしれない。
流行の循環と市場の関連性においてもイタリアとアメリカ、50年代と80年代は切っても切り離せないのではなかろうか。
時代は変わり2010年代、ピッタピタで丈の短い上着やスパッツの様なトラウザーの流行の反動なのか、ゆったりとしたシルエットが主流になっていった。
ゆったりとしたシルエットがこの数年続いていながら、いまひとつ自分の中でその感覚を掴めてなかった。
しっくり来なかったなあ。
古着屋に行くと、80's、90'sのアメリカブランドのシャツが並んでいて、ほとんどはレーヨン混だったり麻素材でアジア生産品。
ゆったりとしたシルエットでどれもアームホールがやたらと大きく、胸には大きなポケット、襟は小さめ、カフも細い、そんな古着を横目にしながらも数年掛かってやっと腑に落ちた。
結局のところ、先人が作ってきたものに反応してしまう服作りではあるけど、ルーツに対しての検証と妄想は怠っていない。

というわけで、今回KFが作ったゆったりとしたシャツというのは、ROOMY SHIRTSというネーミング。
完全な造語で、部屋着のようにゆったりとしたシルエットのシャツで80年代のイタリア的なムードと、50年代のアメリカを妄想して作っています。
既に店頭に並んでいるROOMY SHIRTSの秋冬は長綿(スーピマ、ギザ)を使用した先染ストライプ生地。すべすべした肌触りと細かい運針による自然なパッカリングが良い感じ。適度なゆったり感は、タックインするとトラウザーのワイドシルエットとのバランスも悪くない。
最後に、
『勘違いがあって、新しいモノが生まれる事だってあるんだよね』
というある先輩の言葉は深すぎた。
今回はアメリカとイタリア縛りで書いてみたので、次回はフレンチテイストとの出会いについて(笑)
KFは、何故ゆったりとしたシャツを作ったのか? 最1話
KFは、何故ゆったりとしたシャツを作ったのか? 最2話
KFは、何故ゆったりとしたシャツを作ったのか? 最3話


















