以上は『 MEN'S CLUB BOOKS ネクタイ』(1988年 婦人画報社)の序文、堀洋一氏の「ネクタイ管見」での一節である。もう30年近く前の本であるが、現在も同じような状況があると言えるだろう。クールビズが推奨され、ビジネスウェアの世界でも合理性が優先される現状において、このネクタイというものの存在価値はさらに曖昧なものとなっているのかもしれない。
ウンチクの類は置いといて、自分の好きな “ネクタイ” たちを思い浮かべてみる。ジェームス・ボンド、ポール・ウェラー、アニー・ホール、タモリ、『ルパン三世』の面々・・・てんで出鱈目な選定ではあるが、私のイメージではネクタイとは切っても切れない面々。「個性」といえば簡単だけれども、その過激なアクションを華麗なイメージに変えたり、一見秩序のない風体を纏めてみたり、行動の俗っぽさを中和したりで、ネクタイがそれぞれの人物に間違いなく作用していると思うのだ。それは “お洒落” であるとか “マナー” であるとか、あるいは「遊びごころだのを表現する小道具」でもなく、その存在を構築するための、掛け替えのないパーツとなっている。
私は今のところ、ネクタイというものを “自分のパーツ” にまで高める事ができていないが、憧れの姿が無くもない。そう、それは黒のニットタイ。かつての東海岸カレッジスタイルの幻想に取り憑かれているという事も理由のひとつだが、日常でネクタイを締めることが無い私にとって、この素材、この剣先は最も取り入れやすいものだ。何気ないオックスフォードシャツに程よくノットをまとめる事ができれば、カビと埃のイメージの古書店主に、さりげない品性と趣きを与えるはずだ。
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