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STORY

優しき中欧の靴

社会主義時代の残滓を残す寂れた風景。ひんやりとした空気。愛想のない人々。そして儚げな美女……。この6月、僕が今まで中欧ハンガリーに抱いていたこういった手前勝手な幻想は、見事に覆されることとなった。なんというか、妙にカラッとしてるんだよな〜。

38度という灼熱地獄、しかも観光客しかいない土日のブダペストで「やっぱこういう場所は冬のほうが雰囲気出るな……」とこの旅をちょっとだけ後悔した僕だったが、大きな収穫もあった。靴工房VASS(ヴァーシュ)との出合いである。

靴ヲタの方ならご存知かもしれないが、ブダペストは知る人ぞ知る紳士靴のメッカであり、その古色蒼然とした製靴法とフォルムは「ブダペストスタイル」と呼ばれ珍重されている。その中でもこのVASSは、群を抜いた実力で知られる存在なのだ。

今回、偶然フィレンツェで出会った関係者の導きで、その工場を見学させてもらうことになった。片言の英語を話せるのが三代目のピーターくんだけという状況で、あまり詳しいインタビューはできなかったのだが、この工場でどんなものづくりがされているかは、写真を見ていただければわかるだろう。まあ、僕が知り得たことは、以下のようなものだ。
 
●家族経営でだいたい30人程度の工員が働いている
●既製靴もビスポークも、まったく同じハンドソーンの工程でつくられている


●ソールの研磨用グラインダー以外、工場に機械は置いていない(アッパーのステッチは外注によるもの)


●祖父のラズロ・ヴァーシュ氏はブダペストの名士で、紳士靴にまつわる著書もあり(日本語訳もあり)
●ハンガリーではいい革を生産するのが困難なため、基本的には海外から革を仕入れている
●工場、とっても清潔
●職人の皆さん、全員めちゃくちゃいい人


●やたらとヌードピンナップが飾られている
 
そんな、実に牧歌的な空気が流れる工房を出たその足で、ブダペスト中心地にあるVASSのショップに直行した僕。サイズの展開はそれほど豊富ではないのだが、なんとこちらはアップチャージなしでパターンオーダーが可能とのこと。そもそもハンドソーンの靴としては圧倒的に安価な上(専用シューツリー付きでロブやグリーンの半額以下)、納期は1ヶ月程度ときたら、これはもう注文しない理由はないだろう。



というわけできっちり1ヶ月後に、フェデックスによって手元に届いたのがこちら。


ラストは日本ではなぜか入手困難となっている、サイドウォールがほぼ垂直に立ち上がったブダペストラスト。デザインはプレーントゥ。レザーはイタリア製ボックスカーフと、ドイツはJRのオークバークソール……。それは僕の小さくて幅広な足にぴったりの、無骨で愛らしい1足だった。
この靴を履いて、冬の中欧をもう一度旅してみたい。気分は変わるかな?
Eisuke Yamashita

Fashion Editor山下 英介

1976年埼玉県生まれ。大学卒業後いくつかの出版社勤務を経て、2008年からフリーエディターとして活動。創刊時からファッションディレクターとして携わった「MEN’S Precious(小学館)」を、2020年をもって退任。現在は創刊100周年を迎えた月刊誌『文藝春秋』のファッションページを手がけるとともに、2022年1月にWebマガジン『ぼくのおじさん/MON ONCLE(http://www.mononcle.jp)」を創刊、新しいメディアのあり方を模索中。住まいは築50年のマンション、出没地域は神保町や浅草、谷根千。古いものが大好きで、ファッションにおいてもビスポークテーラリング、トラッド、モード、アメリカンカジュアル……。背景にクラシックな文化を感じさせるものなら、なんにでも飛びついてしまうのが悪いくせ。趣味の街歩きをさらに充実させるべく、近年は『ライカM』を入手、旅先での写真撮影に夢中。まだ世界に残された、知られざる名品やファッション文化を伝えるのが夢。