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STORY

沸きあがる沼の中で


大学を卒業して以来はじめてというくらい、暇な毎日を過ごしている。明日をも知れぬフリーの身としては、もちろん無駄づかいは禁物。ショップが開いていないし、人に会うこともほぼないから、この春洋服は買っていない。駐車場代やタクシー代はゼロ。もちろん旅行なんて行けるわけもない。そうするとあら不思議、ぜんぜんお金が減らないのだ!!
43年生きてきて初めてたどり着いた、悟りの境地。このまま出家生活を続けるのも悪くないかな、なんて思ってはいるのだが、どうしても自粛できないのがオタク活動。むしろ時間があり余っているもんだから、よりディープにいけちゃうのだ。ネトフリで『あしたのジョー2』全47話一気見×2回転くらいなら可愛いものだが、ことが機械式カメラとなると少々困る。お店こそほとんど営業していないのだが、みんな死ぬほど現金がほしい時期とあって、掘り出し物のレンズがネット上にわんさとあふれているのだ!
いつもなら、お店で試し撮りして「これなら今持ってるヤツでいいかな〜」となるのだけれど、オンラインショップではそうはいかない。むしろ真偽不明なレビューを読みすぎてブツに対する幻想が高まってしまうから、ほしくなったら歯止めがきないのだ。
というわけで僕が昂ぶる欲望に抗えず、ついついカメラ屋さんのオンラインストアで購入してしまったのが、ライカを代表する銘玉といわれるヴィンテージレンズ、『ズミクロン35㎜F2』の通称〝8枚玉〟である。所有する〝6枚玉〟をはじめ、2軍級のレンズや機材をいくつか断捨離して手に入れたものだ。
まったくカメラに興味のない方に説明させていただくと、ライカのレンズはリーバイス501とかパテックフィリップの時計みたいなもので、おなじ名前でもそのデザインやつくりは全く異なる。僕が購入した1958年製、ドイツ製、白鏡胴の〝8枚玉〟は、言うならば1955モデルのXXみたいなものかな? もちろん上には上があって、大戦モデルや1937年モデル級の〝8枚玉〟もあるのだから、あまり威張ることはできないのだが。
それにしてもXX級のレンズだけあって、〝工芸品〟とも謳われるほど、モノとしてのエレガンスは現行品とは段違い。製作者の意図は計りかねるが、写りだってどことなく上品でしょう?


興味のない方にとっては値段も含めて1ミリたりとも理解不能だと思うが、まあそこはお互い様ってことで。
旅行なんてもってのほかな昨今、デジカメ市場の売上は散々とのことだが、こんな風にして数寄者たちの物欲は衰えるどころか、むしろ日々高まっているような気がする。
この気分はきっとバイクやジーンズ、時計好きのあいだでも共通しているんじゃないかな?
Eisuke Yamashita

Fashion Editor山下 英介

1976年埼玉県生まれ。大学卒業後いくつかの出版社勤務を経て、2008年からフリーエディターとして活動。創刊時からファッションディレクターとして携わった「MEN’S Precious(小学館)」を、2020年をもって退任。現在は創刊100周年を迎えた月刊誌『文藝春秋』のファッションページを手がけるとともに、2022年1月にWebマガジン『ぼくのおじさん/MON ONCLE(http://www.mononcle.jp)」を創刊、新しいメディアのあり方を模索中。住まいは築50年のマンション、出没地域は神保町や浅草、谷根千。古いものが大好きで、ファッションにおいてもビスポークテーラリング、トラッド、モード、アメリカンカジュアル……。背景にクラシックな文化を感じさせるものなら、なんにでも飛びついてしまうのが悪いくせ。趣味の街歩きをさらに充実させるべく、近年は『ライカM』を入手、旅先での写真撮影に夢中。まだ世界に残された、知られざる名品やファッション文化を伝えるのが夢。