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STORY

実録! 私はこうして盗まれた…ピッティウォモ2日目の午後

新調したスーツを着て、ピッティ取材に励む私。この1時間後、事件は起こった。

ピッティウォモ2日目の午後、事件は起こった。取材のさなか立ち寄ったブースにて、気心の知れた日本人バイヤーさんたちとのトークに夢中になっていたところ、気がつくと足元のバッグがない。ふつうの人ならこの瞬間、顔からさっと血の気が引くところなのだろうが、僕の場合鈍いというか、この後に及んで「いやいやまた〜そんなわけないっしょ」的な日本人マインドに脳が支配されていたのか、周囲の人たちの驚きとは裏腹に自分の心だけは妙に静かで、そのことが自分でも驚きだった。スペクタクル映画だったら、事態を甘く見て真っ先に犠牲になるタイプの人間だ。

すぐに会場の外に出て周囲を見回すと、その光景はあたかも巨人戦後の水道橋駅周辺を思わせる雑踏だった。「これは見つからないよね・・・」。ここでようやく〝盗まれた〟という実感と絶望がずっしりと、僕の心と体を重くする。実はもともと軽犯罪の多いイタリアの中でも、ピッティウォモの会場は昔から盗難被害の多発地帯として有名で、僕の周囲の人々もよく被害に遭っていたのだ。財布をすられた人、カメラ機材を一式置き引きされた人、リュックを引き裂かれた人・・・。僕もそれはわかっていたはずなのに、なぜあの瞬間油断してしまったのか。今更ながら後悔するほかない。被害にあったのはエルメスのボストンバッグと、財布、手帳、家の鍵、ライカのカメラセットetc…。パスポートや現金、控えのカードはホテルに置いてあるので、旅には支障なさそうだが、被害総額的にはかなり痛い。

ともあれ、落ち込んでいる暇はない。無理やりにでも気持ちを切り替えて事務処理に向かうしかない。会場内のセキュリティに被害報告をした後、市内のポリスに被害届を提出する。この作業が結構面倒というか、とにかく待ち時間が長い。さすがはイタリアである。私などは幸運なことに1時間程度で済んだが、犯罪の多い真夏はこれだけで1日仕事になるらしい。さらにパスポートを盗まれたら日本大使館に行かなくてはならないので、完全に仕事の遂行は不可能になるだろう。ピッティのセキュリティ担当者は非常に丁寧な対応で「申し訳ない」と謝ってくれ、きちんと捜査もしれてくたのだが、ポリスはこの程度の事件には慣れきっているようで、対応はいたって事務的かつドライであった。ピッティ会場には日本人バイヤーやプレスの方も多いので、皆さんに手伝っていただき諸々の手続きはスムーズに進んだが、これが日本人も周りにいない、英語も通じないナポリあたりで被害にあったとしたら、どんなに大変だったろうか・・・。我ながらぞっとする。

そういえば昔バックパッカーをしていた頃はなるべく貧乏に見える格好をしたり、お腹に腹巻き型の財布を巻いたり、ポーチを首から提げてシャツの下にしまったりと万全の盗難対策を施していたものだが、ある意味かっこつけを仕事にしている今はそんなことできやしない。もはや僕は泥棒にとっては鴨ネギであり、歩く身代金だったのである。

できることなら一生のうち一度でも経験はしたくない出来事ではあったが、そこそこレアケースである「イタリアで盗難にあった日本のファッション業界人」代表として皆様にアドバイスできることがあるとすれば、ボストンやブリーフなどは絶対にジップを閉めて、常に手放すことのないよう心がけたい。トートバッグはしっかりとホールドできるのは利点だが、開口部にジップがついていないものはやはり危険だと思う。ちなみにファッション業界にはクラッチバッグ愛用者が非常に多く「抱えているから安心」という論理で超危険地帯ナポリを闊歩する方も多いのだが、それについては僕の理解の範疇外である。ともあれ、どんなに気をつけても盗まれるときは盗まれる。その時は面倒でもポリスで被害届を出さなくては、あとで保険の手続き上不便になるので、我慢してやっておきたい。その際はできればイタリア語がわかる日本人に付き添っていただくのがよいだろう。あと、クレジットカードの保険内容における「携行品」の欄はしっかりと把握しておきたい。我々のような業種の人間はお金持ちでなくとも他業界の方と較べ並外れて高価なブツを身に着け持ち歩くわけだから、そのあたりは手厚ければ手厚いほど助かるはずだ。

「アイツら、今頃さぞかし美味しい酒飲んでるんだろうな・・・」。顔も知らぬ泥棒たちを脳内に具現化して思いつく限りの呪詛の言葉を投げつけながら、もう真っ暗になったオニサンティ通りをとぼとぼ歩き、ホテルに帰った。瞬時にベッドに身を投げ出したものの、これから夜のイベントが待っている。「今何時だったかな?」 ふと左の手首を見ると、はめていたパテックフィリップ「カラトラバ」が故障していた。「これ、修理代いくらすんだよ・・・」。どっと疲れが押し寄せて、その夜はツイードのスーツを着たまま眠りについた。

バッグ盗難後のロンドンにて。僕にはまだローライフレックスがある!
Eisuke Yamashita

Fashion Editor山下 英介

1976年埼玉県生まれ。大学卒業後いくつかの出版社勤務を経て、2008年からフリーエディターとして活動。創刊時からファッションディレクターとして携わった「MEN’S Precious(小学館)」を、2020年をもって退任。現在は創刊100周年を迎えた月刊誌『文藝春秋』のファッションページを手がけるとともに、2022年1月にWebマガジン『ぼくのおじさん/MON ONCLE(http://www.mononcle.jp)」を創刊、新しいメディアのあり方を模索中。住まいは築50年のマンション、出没地域は神保町や浅草、谷根千。古いものが大好きで、ファッションにおいてもビスポークテーラリング、トラッド、モード、アメリカンカジュアル……。背景にクラシックな文化を感じさせるものなら、なんにでも飛びついてしまうのが悪いくせ。趣味の街歩きをさらに充実させるべく、近年は『ライカM』を入手、旅先での写真撮影に夢中。まだ世界に残された、知られざる名品やファッション文化を伝えるのが夢。