車窓に流れる景色は、どれも人気(ひとけ)を感じないコンクリートのビルたち。けばけばしい色づかいのグラフィティだけが、不気味な存在感を見せている。どこからともなく感じる身の危険。ファッション雑誌から学び、頭のなかで夢想してきた「NYのストリートカルチャー」という言葉がいかに浅はかなものであったか、このとき嫌というほど思い知った。ぼくはたまらず上着のポケットを探り、イヤホンを耳にあてた。日本の歌が聴きたい!急激に欠乏していた故郷のエキスをむさぼるかのように、耳から入りこむメロディに集中したのであった。

小坂忠という歌手の『ほうろう』というアルバムは、和製 R&B の名盤とされる作品だ。手練れであるバックバンドの産み出す16ビートは、確かに日本人離れしたグルーヴ感である。しかしながら、そのヴォーカルは全くもってナチュラルな日本語。例えば、はっぴいえんどのような “試行錯誤感” があるわけでなく、後の桑田佳祐のような英語的歌唱を聴かせるわけでもない。せいぜい歌詞の面で「ほうろう= hold on 」や「ゆうがたラブ」などの言葉遊びがある程度。
大袈裟かもしれないが、今どき「うたのおにいさん」でもやらないような綺麗な発音であり、あの頃 “四畳半” として皮肉られた類にも聴こえる。それにもかかわらず、日本語ポップスでありがちな野暮ったさは皆無で、洒脱ですらある。湿り気が無く軽やかなのに、伝わってくるのは日本的ハードボイルド。まさにアメリカを “ほうろう” し始めた僕にとって、それは救いの音楽になったのだった。
それからというもの、旅の途中にはつい口ずさんでしまう『ほうろう』。いや、旅路でなくとも、何かしらの岐路に立たされた時には、どうしても聴きたくなってしまう1枚です。


















