ならば、マスターの淹れるコーヒーはどんなのよ?と期待値は高まるのだが、実際のところ10分後くらいに出てきたコーヒーは、こちらの想像をはるかに超えていた。簡単にいうとまったく黒くない。なんというか、ほうじ茶のように透き通った琥珀色なのだ。味自体もいわゆるコーヒーというよりお茶に近く、酸味は一切ない。口に入れた瞬間は香ばしく、その後清流を口に含んだときのようなまろやかな甘みを感じる。体にスッとなじむような後味を含めて、今まで飲んできたコーヒーとは全く別ジャンルの飲み物! 思わず立て続けに2杯飲んでしまった。マスターはコーヒーの詳細については意外に口が重く、「超浅煎り」、「コーヒーは本来健康飲料」、「アルカリ性」、「上質な豆と水」、「器もすごい」、これ以上の情報は得られなかったが、それよりも僕はこんなコーヒーを生み出したマスターの人柄のほうに興味を抱いた。
『珈琲アロー』ができたのは1964年。東京オリンピックの年である。ホテル勤務を経て、独立した当初は経営は厳しかったらしいのだが、心機一転、人生を賭けるような気持ちで仕事にのめりこむことによって、あのコーヒーの味は完成し、経営もうまくいくようになったという。驚くことに現在79歳のマスターは、10数年前まで8:00〜翌3:00までの営業時間を頑なに貫き、現在でも11:00〜23:00までひとりでこの店を守り続けている。しかも年中無休。大晦日も元旦もGWも関係なく働いているから、開店以来約20日しか休んだことがないという。旅行や家族サービスなどとは無縁の人生だ。
「サービス業は休んだらダメたい。だってこっちの勝手で休んだら、せっかくあんたのように遠くから来てくれたお客さんに悪いでしょ」と笑うマスター。営業時間中は絶対に座らず、一心不乱にコーヒーを淹れるマスター。「お店を開店して以来、水と自分が淹れたコーヒーしか飲まないから、今でもこんなに肌がツヤツヤでしょ?」と胸を張るマスター。一杯たった500円のコーヒーには、彼のプロフェッショナルとしての誇りが凝縮されているのだ。僕もそこそこ仕事を頑張ってきたように思っていたけれど、マスターに比べたらなんて怠け者だったんだろう? ふと額装してお店に飾られていた原稿用紙に目をやると、それはマスターのコーヒーを〝魂の故郷〟と表現する中学生の作文だった。しかも全国コンクールの大賞。本当に心を込めてつくったものは人間の魂を揺さぶり、しかもそれは連鎖するのだ。
しかし残念なことに、そんなストイックなマスターの珈琲哲学を習得できた弟子は今までひとりもいないという。まあ、そりゃ無理だよな・・・。よってマスターがいなくなった後は、この稀有なるコーヒーは世界から姿を消す可能性が高い。早くまたマスターに会いに行きたい。
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