まあそれはさておき、彼のヤザワカルチャー全開のスタイルに、いまだプロケッズのデカロゴスニーカーを履いていたダサ坊こと山下少年は素直に憧れたものです。そう、僕にとってパッチンとはちょっとヤザワな存在なのでした。
そんなパッチンは1990年代初頭を境に、ファッションシーンから忽然と姿を消しました。たまに見たと思ったら in 秋葉原か大食い TV番組だし、ファッション誌でサスペンダーを紹介するときは、ご丁寧に「ただしパッチンは NG 」などと書いている始末(あれ?もしかして僕も書いたかも)。といった具合に僕の中でも、すっかり NGアイテム化していたのです。
時はすぎて、2011年頃。フィレンツェのビスポークテーラーを取材するようになった僕の前に、再びパッチンは顔を見せました。驚きましたよ、「リベラーノ & リベラーノ」のアントニオさんとか、「タイユアタイ」のシモーネ・リーギさんとか、みんなパッチンなんだもん。ビスポークなんだからベルトループはなくしてサスペンダーボタンをつけりゃいいのに、彼らはわざわざベルトループ付きのパンツにパッチンをするわけです。日本人を通してアントニオさんに「イギリスのテーラーはみんなボタン式のサスペンダーしているけど、なんでお宅はパッチンなわけ?」と聞いてみたところ、なんとも言えない顔をされたのですが、「要するにそっちのほうが楽だし、〝トッポい〟みたいな感じらしいですよ」と返答が。そうか、やっぱこれ、トッポいのね!
日本とフィレンツェにおける思わぬ価値観の合致にうれしくなった私は、それからというもののサスペンダーは専らパッチン派。リベラーノやタイユアタイで、さまざまな色のパッチンを買い込みました。ビスポークスーツ姿でも、これを着けるとちょっと堅苦しさや偉そうな感じが和らいで、自然体なムードで居られるような気がします。スーツに対するこういう考え方は、「街場」の文化が発達したフィレンツェという都市ならではのものかもしれませんね。
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