その日は僕の27回目の誕生日だった。友人の藤木洋介に誘われて二人で宮益坂へ映画「ハウルの動く城」を観に行った。自分から誘ってきたくせに、彼は途中から隣の席で寝息をたてていた。映画館を出てあくびと背伸びを同時にしながら、どちらからともなく「ま、飲みにでもいきますかー」とつぶやいて僕らはセンター街の雑踏を掻き分けるようにして歩く。バックビート。雑居ビルの2階にあるジャマイカ料理屋へ入りビールを飲んでいると、ほどなくして一組の男女が僕らと同じテーブルへやってきた。藤木の広島時代からの友人で当時SHIPSのプレスをやっていたJ君と、その後輩の女の子だった。人見知りだった僕は「ドーモハジメマシテ」なんて挨拶を交わし、ひとしきりの酒宴を繰り広げるうち、騒ぎに飽きた僕が「もーいこーか」と言うと二人で店を出て、ヤクザな風貌の先輩・Iさんがやっているバーへ続く円山町の坂道を登り歩いた。「アフロ」と書かれた看板の隣にあるドアをくぐると、そこには腰の位置まである長髪をなびかせ足首まで刺青の入った男Yと連れの彼女Kが先客でいた。彼らと僕らは会社の同僚だった。同じ席でしばらくビールを飲んでいたが、何の話をしたのか一つも覚えていない。三人はベロベロに酔っていたけれど、僕は驚くほど(飛んでいる蠅を箸でつかめるんじゃないか、ってくらい)落ち着いていた。気がつけば深夜。時間がスローモーションのように流れている。
いよいよ飲み飽きて、少し眠りたくなったので「アフロ」から少し上ったところにある藤木宅へ向かうことにした。エレベーターのないビルの5階へ階段で上がり鉄の扉を開くと、中からメガネの男が出迎えてくれた。藤木のルームメイトOさんだった。部屋は薄暗く、Oさんの顔は世界政府の黒幕みたいに影になっていてよく見えなかったけれど、彼が「フィッシュマンズ最高!」と連呼していたことは爆音で揺れるダブ・ビートの中でも聞き取ることができた。AM4:00。タバコの煙で白っぽく淀んだ1ルームいっぱいの空気を吸い込みながら、僕はワイン色のブーツを履いたままで藤木のベッドにあがり、(部屋が異常に寒かったので)ムートンコートのフードを頭からかぶると目を閉じた。空気が痺れるような音量で流れるブランキー・ジェット・シティの曲に合わせて、藤木とOさんがユラユラと踊っている姿がまぶたの裏にうっすらと透けて、見えた。
それから15年ほどが経った。藤木はシンガポールでセレクトショップを経営している河村浩三と共に洋服のプロジェクトを立ち上げるという。彼らふたりは広島時代からの腐れ縁という感じらしく、昔から新しいブランドの在り方について話し合っていたようだ 。酒場でふたりが喧嘩しているのもよく見かけた。
彼らが今回立ち上げるプロジェクトはクラウドファンディングを介して世界中から共感してくれる仲間を集めるというもの。詳しくはコチラのサイトを見ていただきたいのだが、スタートからわずか2日で目標金額を達成してしまっている。藤木洋介と河村浩三が広島で出会った10代後半を爽やかな、もとい、騒(さわ)やかな朝7:00だとするならば、今は僕を含む三人ともが40代の前半に差し掛かかり、気がつけば午前2:00。夜明けにはまだ早く、帰宅するにはノーディレクション。始発列車をひたすらに待つのは退屈だろう。AM4:00に円山町を揺らしたようなバックビートに乗っかって、地をうねるように進む時間は腐るほどにある。
この夜はまだ始まったばかり。ナイトクルージングなドライブに出かけよーよ。助手席はまだ、空いてるよ。














