話は尽きる事無く世界中を駆け巡り、その日はライカMに着地した。
初めて見る実物。イメージより重い。真鍮の塊。
何より驚いた事、オールドレンズがくっつく。
そして思った事。取られる側の警戒が緩くなる顔だなって事。
僕もパリ、N.YでD700を使い、アンリ・カルティエ・ブレッソンを夢見て何度となく挑んでいるが
なかなか正面に回り込めない。カメラとレンズがデカすぎる。記録装置なのに武器に見えてしまう。
だから英介さんのライカM+F1.4オールドレンズは最高&ストリートでは最強だ。
レンズも小さくファニーフェイス。なのにカミソリピントも繰り出せる。
僕もこの際、貯金してデジタル伊兵衛を目指そうか?
などと僕のバイブル『木村伊兵衛写真集 パリ』をゆっくり眺める午前2時。
追伸、こんなリトルdigitalモンスターMを手に入れてしまったら、言い訳文言激減です。それもそれで困ったものだ。
1966年湘南・鵠沼生まれ。県立鎌倉高校卒業後、文化服装学院アパレルデザイン科入学。3年間ファッションの基礎を学ぶ。88年、卒業と同時にフランスへ遊学。パリとニースで古着と骨董、最新モードの試着に明け暮れる。今思えばこの91年までの3年間の体験がその後の人生を決定づけた。気の向くままに自分を知る人もほぼいない環境の中で趣味の世界に没頭できた事は大きかった。帰国後、南仏カルカッソンヌに本社のあるデニム、カジュアルウェアメーカーの企画として5年間活動。ヨーロッパでは日本製デニムの評価が高く、このジャンルであれば世界と互角に戦える事を痛感した。そこでデザイナーの職を辞して岡山の最新鋭の設備を持つデニム工場に就職。そこで3年間リアルな物作りを学ぶ。ここで古着全般の造詣に工場目線がプラスされた。岡山時代の後半は営業となって幾多のブランドのデニム企画生産に携わった。中でも97年ジルサンダーからの依頼でデニムを作り高い評価を得た。そして98年、満を持して自己のブランド「Slowgun & Co(スロウガン) / http://slowgun.jp 」をスタート。代官山の6畳4畳半のアパートから始まった。懐かしくて新しいを基本コンセプトに映画、音楽等のサブカルチャーとファッションをミックスした着心地の良いカジュアルウェアを提案し続け、現在は恵比寿に事務所を兼ね備えた直営店White*Slowgunがある。趣味は旅と食と買い物。
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