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STORY

そこにある味

今の家に引っ越してきて9年近くが経つ。バス停も小学校も近く、大型のスーパーは徒歩5~10分圏内に4つもあるので住環境に特段の不満はない。が、板橋区の中では比較的閑静な住宅街エリアなので飲食店はまばらだ。そんなうちから徒歩3分の場所に一軒の中華屋がある。いわゆる町中華の類いで、別に無化調をうたっているわけでもなければ(実際、厨房には赤い缶入りの調味料が見えている)、メディアに取り上げられた有名店というわけでもない。ただ、昼時になると4~5人並びができるくらい客足が絶えないのだ。理由はひとつ。美味いのだ。絶品!というか、「ちょうどいい」美味さなのだ。

ワンタン麺750円。生姜のきいた鶏ガラスープの醤油味。

実はこの店、半年以上休業していた。厨房をひとりで仕切る大将(二代目)が中華鍋の振りすぎで腕の腱を痛めてしまったのだ。休業直前は鬼の形相(2001年、VS武蔵丸との取り組みで見せた貴乃花の形相を思い出してもらいたい)で鍋を振っていたが、体力の限界千代の富士。治療(手術、リハビリ)のため、と貼り紙のされたシャッターが下りっぱなしの状態に。たまにバスで大将本人やそのお母さんと乗り合わせて「どうですか?腕の加減は」なんて声をかけても「まだ腕が全然上がんなくてねぇ」と返されていた。9年前、この家に引っ越してきた直後に3.11が起こった。会社もしばらく休みになり、暗く不安なムードで自宅待機。そんな時、店を開けてくれていたこの店で、いつも通りラーメンを食べたときにはなんだかホッとした気持ちになった。妻と二人でニューヨークに旅行した帰り、スーツケースを引いたまま食べに行ったこともあった。夏の暑い日は冷やし担々麺を頼み、昼間からひとりでダラダラと瓶ビールを飲んだ。「季節野菜の炒め」にゴーヤや菜の花が入っているのを見て季節の移り変わりに気づいた。一軒の中華屋はいつもそこに「在った」。

将来、娘が「お父さん話がある」と言い出して聞くかもしれないとき、成人式帰りの息子とふたりで乾杯するかもしれないとき、子供たちが独立していったあとの妻と二人きりで取り立てて会話もなくラーメンをすするかもしれないとき。この店がそこにあってくれたらいいなと思う。そんな味がする店だ。

昨年夏の終わり。シャッターが上がっているのを見つけたときは思わず妻にLINEで「開いてる!」と知らせた。もうこのまま廃業かも、と思っていたから。さっそく行ってみたところ、まだ腕が本調子でないのか「ごめんなさい、チャーハンは(重たくて)まだできないの」と、ホールにいるお母さんが他のお客に断りを入れてるのが聞こえた。僕はカウンターに座り五目あんかけ焼きそばを頼んだ。やっぱり美味かった。グラスに入ったビールをグイッと飲み干し「ご馳走さまでした、また来ます」と言った。

Satoshi Tsuruta

NEJI Organizer鶴田 啓

1978年生まれ。熊本県出身。10歳の頃に初めて買ったLevi'sをきっかけにしてファッションに興味を持ち始める。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻に興味を持てず、アルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを本格的に決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆などを16年間にわたり手がける。2021年、22年間勤めたビームスを退社。2023年フリーランスとして独立、企画室「NEJI」の主宰として執筆や商品企画、スタイリング/ディレクション、コピーライティングなど多岐にわたる活動を続けている。同年、自身によるブランド「DEAD KENNEDYS CLOTHING」を始動。また、クラウドファンディングで展開するファッションプロジェクト「27」ではコンセプトブックのライティングを担当し、森山大道やサラ・ムーンら世界的アーティストの作品にテキストを加えている。