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STORY

偶然のモン・サン=ミシェル

6月のある休日。妻に「たまには美味しいランチでも食べに行こうよ」と誘われて恵比寿へ出かけることに。妻の服装が白シャツ×ネイビーのボトムスだったので、何となくペアルックに見えない程度に同じような配色の服を探してみたらタンスの奥の方からセントジェームスのバスクシャツが出てきた。かなり長いこと着てなかったけど、マァたまにはいっか、と袖を通し、デニムパンツにネイビーのレザーサンダルを履いた。


僕のタンスにはセントジェームスのバスクシャツが2枚収まっている。いつ、何処で買ったのか覚えていないくらい昔からある。20年以上前に代官山あたりのユーロ古着屋で買ったような気もする。そう言えば18年前、ビームスの入社式にこのボーダー柄のシャツを着ていったっけ。上にはネペンテスで買ったドルマンスリーブのネイビージャケットを羽織り、アイスウォッシュ並みに薄い色のレギュラー501(原宿の古着屋で2800円だった)をピチピチのサイズ(28インチ)で穿き、ピカピカに磨いたCheanyのレースアップシューズを合わせ、首にはエスニック雑貨屋で買った赤いスカーフを巻いていた。22歳。周りの同期はそれなりにスーツやジャケット姿でキチンとしていたので、当時の部長に「ボロボロのデニムで入社式に来たやつは初めてだ」と叱られながらも「でも、たまにはそんなヤツがいてもいいのにな、っていつも皆で話してたんだ」と誉められもした。


袖タグは懐かしの「St James」表記。襟元のブランドタグはプリントでモン・サン=ミシェルの絵柄はほとんど消えかかっている。白無地の方は70年代物なので生地も痩せて薄くなっている。それでも、なんだか捨てられない。

恵比寿で食べたクスクスランチはかなり美味しかった。「次に行くところも決まっているんだ」と、妻。どうやら、最近ちょっと疲れて見える僕を一日アテンドしてくれるつもりらしい。言われるがままに辿り着いたのは東京都写真美術館、イントゥザピクチャーズ。「あぁ、これね~。俺も観たいと思ってたんだ」とか言いながら、エントランスに貼ってあるポスターを見てハッとした。


ロベール・ドアノー撮影によるパブロ・ピカソ。超絶有名なこの写真でピカソが着ているのはセントジェームスのシャツ「NAVAL」。「いやいや、これじゃ俺、展示に合わせてセントジェームス着てきた張り切りバカみたいじゃん?」「そだね」「朝、俺が服着た時点で教えてよ(笑)、恥ずかしいわ」「いや、そう思ったけど、ちょっと面白いかなと思って」と薄ら笑いの妻。「ホラホラ、ポスターの前に立ちなよ。写真撮ったげるから」「イヤ、いい…。」数年振りにバスクシャツを手に取った日に、まさかピカソと会ってしまうとは…。

それから数日後、熊本の実家から荷物が届いた。段ボールの中にはドイツやスイス、フランス土産がギッシリと詰まっていた。そう言えばこの前、母親が海外旅行に行くとかナントカ言っていたな…。ドイツワインやソーセージに混じって、底の方からは孫宛のTシャツが出てきた。


モン・サン=ミシェルの前で可愛らしい女の子が二人、セントジェームスのニットキャップを被って自撮りしているプリントだった。家族ぐるみでシンクロニシティかよ。

Satoshi Tsuruta

NEJI Organizer鶴田 啓

1978年生まれ。熊本県出身。10歳の頃に初めて買ったLevi'sをきっかけにしてファッションに興味を持ち始める。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻に興味を持てず、アルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを本格的に決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆などを16年間にわたり手がける。2021年、22年間勤めたビームスを退社。2023年フリーランスとして独立、企画室「NEJI」の主宰として執筆や商品企画、スタイリング/ディレクション、コピーライティングなど多岐にわたる活動を続けている。同年、自身によるブランド「DEAD KENNEDYS CLOTHING」を始動。また、クラウドファンディングで展開するファッションプロジェクト「27」ではコンセプトブックのライティングを担当し、森山大道やサラ・ムーンら世界的アーティストの作品にテキストを加えている。