Fit in Passport に登録することで、あなたにフィットした情報や、Fit in Passport 会員限定のお得な情報をお届けします。

ページトップへ

STORY

18世紀フランス陶器にハマり中『ムスティエ』編


この通称ムスティエと呼ばれる陶器はマルセイユにほど近い、南仏の小さな村ムスティエ・サント・マリーにて1668年に産声を上げた。数奇な運命を辿ったこの陶器の350年間を4行で箇条書きすると・・・・・

① 1668年、イタリア人修道士ピエール・クレリシーがたまたまマルセイユを経由してムスティエ村に移り住んだ。そこでファイアンス焼きと呼ばれる陶芸技法を村人に教え、独自のムスティエ焼きが完成していった。

② 時の皇帝、太陽王ルイ14世は晩年、スペインとの戦争を控え、緊縮財政令を国内に発布、その一貫として贅沢な銀やスズ合金製の食器使用をやめ、ご飯は陶器の食器で食べましょう!形だけは銀食器をマネとくからさーと貴族たちに命じた。

③ そして製造の白羽の矢が立ったのがなんとこのムスティエ窯で、当時の銀皿の形をモチーフとした陶器製食器の大量発注が舞い込んで来た!(写真はその時に作られたオリジナルのヴィンテージ。)

④ 以後約170年間焼きまくったが1874年頃、英国の陶磁器ブームがフランスで巻き起こりあえなく閉窯する事に。なのでヴィンテージと呼べるのはこの170年間に作られた物のみ!そして1927年になると、村おこしの為、窯復活。そして現在に至る・・・。

ボクが一番グッとくるのが②の金属食器を陶器にスイッチする際、わざわざ形状を銀食器をまねて作ったところ。この擬態という作業にアートをビンビンに感じるんです。上の写真も銀器をまねていて通称花リムとよなれる波打つ縁が特徴なんですよねー。 ただ、技術がイマイチでシャープさが全く無い。ボッテリしているんだなー。イギリスや中国、日本なら磁器ならずとももっと緊張感のあるフォルムを粘土の段階で作ってしまうだろーなー。 でも、このぶきっちょ感が南仏的と言われファンも多いんです。
最後に上掛けするエナメル層があまりに美しいんでエルメスがわざわざ近年ムスティエでオリジナルを作らせる程、何やら深い魅力があるのです。ただこのムスティエ窯、1つ困ったことがありまして、170年間の稼働の中で裏側に刻印の類いがほぼありません。唯一写真のようなバツマークがあります。


でも100%ある訳ではありません。判断材料は釉薬(エナメル層)の質感、ボッテリ感、カケなどから覗く土の色、重さ、爪で弾くと結構高音、この辺が真偽の基準となるんです。表面の色は下地の粘土の色が影響すると言われております。写真の逸品はホントに見事なピンク色!なので旬のあまおうを乗せてみました。バツマーク入りは割と初期製造らしいのでやはりこの皿も300年選手なのです。 18世紀専門の日本人ディーラーに聞いても決定的な解析本がある訳でもなく、フランス人も、人によって言う事がちがうらしい。流石!贅沢三昧太陽王の気まぐれから生まれた貴族達の為のお皿だけのことはありますねー。
Manabu Kobayashi

Slowgun & Co President小林 学

1966年湘南・鵠沼生まれ。県立鎌倉高校卒業後、文化服装学院アパレルデザイン科入学。3年間ファッションの基礎を学ぶ。88年、卒業と同時にフランスへ遊学。パリとニースで古着と骨董、最新モードの試着に明け暮れる。今思えばこの91年までの3年間の体験がその後の人生を決定づけた。気の向くままに自分を知る人もほぼいない環境の中で趣味の世界に没頭できた事は大きかった。帰国後、南仏カルカッソンヌに本社のあるデニム、カジュアルウェアメーカーの企画として5年間活動。ヨーロッパでは日本製デニムの評価が高く、このジャンルであれば世界と互角に戦える事を痛感した。そこでデザイナーの職を辞して岡山の最新鋭の設備を持つデニム工場に就職。そこで3年間リアルな物作りを学ぶ。ここで古着全般の造詣に工場目線がプラスされた。岡山時代の後半は営業となって幾多のブランドのデニム企画生産に携わった。中でも97年ジルサンダーからの依頼でデニムを作り高い評価を得た。そして98年、満を持して自己のブランド「Slowgun & Co(スロウガン) / http://slowgun.jp 」をスタート。代官山の6畳4畳半のアパートから始まった。懐かしくて新しいを基本コンセプトに映画、音楽等のサブカルチャーとファッションをミックスした着心地の良いカジュアルウェアを提案し続け、現在は恵比寿に事務所を兼ね備えた直営店White*Slowgunがある。趣味は旅と食と買い物。