で、ベルリン。グレー色の空。当時、フランク リーダーのホームページにはある住所が記載してあり、それがきっとアトリエの場所に違いないと早合点した僕は、 Google Map もない時代にそのアドレスだけを頼りにベルリン市内をうろつく。雹(ひょう)が降ってきたりしてかなり寒い。2時間ほどかけて遂に辿り着いたその住所には「 Leder 」と表札が出ていて、ゼッタイにここはアトリエじゃない。自宅だと思う。後で知ったけど、当時フランクのアトリエはクロイツベルクというパンクスの多く住む郊外にあって、こんな住宅街にはなかったのである。流石に自宅へ突撃して晩御飯を食わしてもらうわけにもいかないので、訪問は諦めて表札を写真にとり、近くにある中華屋でピーマン入りの変な麻婆豆腐を食べた。
ドイツ~オーストリア古来の圧縮毛織物「シェラドミンガ―」素材のコート。主に断熱材などに使われていたようで服地には通常、用いない。15年以上前、コレクション最初期のアイテム。
数年後に自分の働くお店で初対面を果たしたフランク本人にも「実は自宅の前まで行きました」とは、気持ち悪がられそうで流石に言えなかった。その後も僕のワードローブの中でフランクの服はどんどん増えていき(たぶん50着以上はあると思う)、たまに日本のショウルームで顔を合わせるフランクは僕が着ている初期のピースを見て「懐かしいね」と言ってくれる。彼のブランドアイコンであるシャベル。これは労働の象徴であると同時に新しい道を切り拓くための道具でもある。毎シーズン彼の作る服に添えられたお伽噺のようなテーマ性。それはエディ スリマンにはちっともハマれなかった当時の僕にシャベルを持たせ、退屈な日常から少しだけエスケイプするためのトンネルを掘らせてくれたんだと思う。ファッションとはモノではなく物語だ。
ということで、今回からAMVARとして「ちょうどいい。」モノをご紹介させていただくことになりました鶴田と申します。思えば20歳のときに洋服屋で働き始めてからかれこれ20年ほど経ちます。ベーシックなものもエキサイティングなものも自分なりの視点で幅広くご紹介できればと思っております。皆様、どうぞ宜しくお願いいたします。
1978年生まれ。熊本県出身。10歳の頃に初めて買ったLevi'sをきっかけにしてファッションに興味を持ち始める。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻に興味を持てず、アルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを本格的に決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆などを16年間にわたり手がける。2021年、22年間勤めたビームスを退社。2023年フリーランスとして独立、企画室「NEJI」の主宰として執筆や商品企画、スタイリング/ディレクション、コピーライティングなど多岐にわたる活動を続けている。同年、自身によるブランド「DEAD KENNEDYS CLOTHING」を始動。また、クラウドファンディングで展開するファッションプロジェクト「27」ではコンセプトブックのライティングを担当し、森山大道やサラ・ムーンら世界的アーティストの作品にテキストを加えている。
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