Fit in Passport に登録することで、あなたにフィットした情報や、Fit in Passport 会員限定のお得な情報をお届けします。

ページトップへ

STORY

我が逃走

いまから12年前の2005年11月某日、僕はベルリン市内のとあるアパートメントの前にひとり佇んでいた。

当時27歳だった僕はドイツ文化に対して特に根拠のないあこがれを抱いており、このとき初めて単身ベルリンを訪れたのだ。根拠のない、とは書いたものの、きっかけがあるにはある。この2005年は「日本におけるドイツ年」であったため、国策レベルで様々なドイツ関連の催しが開かれていた。新世代のドイツ人ファッションデザイナーにフォーカスした「 moDe!」展もそのひとつだった。それまではドイツ人デザイナーと言えばカール ラガーフェルドかジル サンダー以外にはちょっと思いつかない感じだったが、おそらくは'89年の「壁の崩壊」を思春期で目の当たりにしたのであろう、若い世代のドイツ人デザイナーが作る「薄暗いロマン主義」の服に興味を持っていた僕は、会場となる代官山ヒルサイドテラスへよちよちと出かけていった。ベルンハルト ウィルヘルムやダーク ショーンベルガー、ステファン シュナイダー、コスタス ムルクディス等、当時ビームスで展開していたデザイナーの他にもブレス、ルッツといったブランドの作品を眺めながら、僕はある展示の前で足を止めた。パン。ブレッド。ブロート。の中からシャツが出てる?アンパンの「餡」の代わりにシャツが入ってますね、これ。

右の写真がシャツ入りのパン。「 moDe!」展の図録より。

2003年ごろから取り扱っていたので彼の作る洋服は数着持っていたが、僕がフランク リーダーというデザイナーに強く興味を持ったのはこの時だった。それからというもの、27歳という若気のいたりも手伝ってかドイツ気分の毎日を過ごすことにしたのである。なぜ?ドイツのことを知らなければ、このデザイナーがシャツ入りのパンを焼いたり、ジャケットの中に「おが屑」を詰め込んだり、盲人のみを観客にしたコレクションを発表したりする理由が到底理解できない、と思ったからである。ということで、ザンダー、ベッヒャー、ティルマンス、リヒター、ボイスらのアートに触れ、ヴェンダース、ファズビンダーの他『ドイツ零年』、『地獄に堕ちた勇者ども』など、ドイツ関連の映画を観まくり、カンやクラフトワーク、ノイバウテンなどの工業都市ミュージックを聴きながら、虚ろな目をしてゲーテの『若きウェルテルの悩み』を読み、夕飯にはじゃがいもとソーセージを食べながら白っぽいビールを飲む、という「そんなドイツ人、逆にいねーよ」という暮らしを送るも、ベルリンへの想いは募るばかり。もうこれは現地に行くしかない、とチケットを取った。

ライニングなしの海軍ダッフルタイプのコート。7~8年前のもの。麻紐の先には木製トグルの代わりに鹿の角が取り付けられている。

 で、ベルリン。グレー色の空。当時、フランク リーダーのホームページにはある住所が記載してあり、それがきっとアトリエの場所に違いないと早合点した僕は、 Google Map もない時代にそのアドレスだけを頼りにベルリン市内をうろつく。雹(ひょう)が降ってきたりしてかなり寒い。2時間ほどかけて遂に辿り着いたその住所には「 Leder 」と表札が出ていて、ゼッタイにここはアトリエじゃない。自宅だと思う。後で知ったけど、当時フランクのアトリエはクロイツベルクというパンクスの多く住む郊外にあって、こんな住宅街にはなかったのである。流石に自宅へ突撃して晩御飯を食わしてもらうわけにもいかないので、訪問は諦めて表札を写真にとり、近くにある中華屋でピーマン入りの変な麻婆豆腐を食べた。


ドイツ~オーストリア古来の圧縮毛織物「シェラドミンガ―」素材のコート。主に断熱材などに使われていたようで服地には通常、用いない。15年以上前、コレクション最初期のアイテム。

数年後に自分の働くお店で初対面を果たしたフランク本人にも「実は自宅の前まで行きました」とは、気持ち悪がられそうで流石に言えなかった。その後も僕のワードローブの中でフランクの服はどんどん増えていき(たぶん50着以上はあると思う)、たまに日本のショウルームで顔を合わせるフランクは僕が着ている初期のピースを見て「懐かしいね」と言ってくれる。彼のブランドアイコンであるシャベル。これは労働の象徴であると同時に新しい道を切り拓くための道具でもある。毎シーズン彼の作る服に添えられたお伽噺のようなテーマ性。それはエディ スリマンにはちっともハマれなかった当時の僕にシャベルを持たせ、退屈な日常から少しだけエスケイプするためのトンネルを掘らせてくれたんだと思う。ファッションとはモノではなく物語だ。

ということで、今回からAMVARとして「ちょうどいい。」モノをご紹介させていただくことになりました鶴田と申します。思えば20歳のときに洋服屋で働き始めてからかれこれ20年ほど経ちます。ベーシックなものもエキサイティングなものも自分なりの視点で幅広くご紹介できればと思っております。皆様、どうぞ宜しくお願いいたします。

Satoshi Tsuruta

International Gallery BEAMS Staff鶴田 啓

熊本県出身。1978年生まれ。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻にまったく興味を持てず、飲食店でアルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。新宿・ビームスジャパンのデザイナーズブランドを中心に扱うメンズフロア(当時)に配属となる。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動し現在に至る。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆まで手がける。ワードローブのモットーは「ビスポークのスーツからボロボロのジーンズまで」。趣味は音楽・映画・美術鑑賞、旅行、落語、酒場放浪、料理、服。二児の父。