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STORY

あまりに細かすぎて見過ごしがちなXXデニムのディテール・Gジャン編『前略 1930〜40年代のリーバイス企画担当者さま。』

雑誌の取材で、とある古着が必要となり、実家倉庫へ行くことに。そこで懐かしの LEVIS 2nd が出て来たのでついでに世田谷に持ち帰ることにしたんです。20代の頃はホントによく着てました!コレ。でも、まじまじと見ているといつものクセでどうしても納得出来ない事が沸き起こってきたんです。そこでここ Amvai の場を借りて米リーバイスの第二次大戦以前当時の企画デザイナーさんにお手紙を書く事にしました。



前略 1930〜40年代のリーバイス企画担当者さま。

初めまして。30年越えの永きに渡り御社製品を愛用している日本人消費者の小林と申します。皆様にとっての当時の正式名称は分かりませんが、通称1ST&2ND型Gジャンについての質問がございます。
それはフロントのプリーツについてです。前身頃ボタン横に2本折山があり横長のロの字で止めてけてあるアイコニックなディテールです。ボクはこのデザインが大好きです。着古された後には芸術的なアタリ感がプリーツの山を際立たせ、何もなかったらきっとのっぺりしてしまったであろう前見頃をにぎやかにしていますね。80年の月日が過ぎ去った今でも最高のグッジョブ、グッドデザインだと思っております。
しかしながら疑問点がございます。どうしてそんなナイスなプリーツをあんな華奢なロの字ステッチだけ押さえているんですか?力のかかる所には「これでもかっ!」て程にリベットやカン止めを打つ、特許まで取るあなたの社風なのにどうしてでしょうか?


それ以前に、このプリーツはデザインなんですか?機能なんですか?50年代以降ならマーロンやエルビスの青春映画、はたまたデュード・ランチブームでGジャン&Gパンが完全にファッション着となりましたよね。ボクが知りたいのはリアルなワークウェアと認識されていた40年代以前の時代のプリーツの意味なんです。すなわち、当然働くおじさん向けな訳だから、ファッション性は求められていないので機能ですよね?ではなんであんなに直ぐ切れる様な綿糸の細番手で1周するだけなんですか?もう1つあります。もしこのプリーツが手を後ろに下げた時の運動量の為ならプリーツをたたんで止めつけたら意味がないですよ。それに前ヨークの切り替え位置が若干低すぎてせっかくのプリーツ運動量が機能せず、イラつくんですけど・・・。フロントボタン全締め前提で一番運動量が欲しいのは第2ボタン辺りだと思います。三角胸筋がそこにあるので。その場所にまんまとヨークの切り替え線を持ってくる事はないでしょう。

そしてボクは閃いたんです。

もしかして、このロの字の華奢ステッチは「しつけ糸代わり」だったんじゃないですか??
切れるの前提、切れた方がプリーツが伸びて多少着易くなりますもんね。縫い終わりの返し縫いですら前中心寄りの縦方向で2針戻っているだけです。強度を出す気なんて更々なかったんじゃないですか!?どうでしょうか?

50年代以降ラングラーがベンジャミン・リヒテンシュタインをデザイナーに迎え、凄いデザインGジャンを発表してますね。


ここもフロントプリーツはしっかりありますが、ブランドアイコンの丸カン止めで完全に止めつけています。ここに機能はありません。これならデザイン・オンリーだと分かります。


後ろ見頃にはゴムまで使ってアクションプリーツなんて仕込みましたね。
ラングラー社の見解ではきっと前見頃に運動量は要らない、これが結論でフロントプリーツは丸カンで固定してしまったのでしょう。

今、90歳くらいで、デニム業界出身のおじいちゃん、おばあちゃんをアメリカにお持ちの皆様、ぜひ里帰りの際、聞いてみて下さい。この仮設がまんざらではなかったら、業界的には結構事件ですよ!

追伸、 LEVIS 2nd を企画した50年代のデザイナーさんにもお伺いしたいことがあります。
追ってお手紙を書かせていただきます。

Manabu Kobayashi

Slowgun & Co President小林 学

1966年湘南・鵠沼生まれ。県立鎌倉高校卒業後、文化服装学院アパレルデザイン科入学。3年間ファッションの基礎を学ぶ。88年、卒業と同時にフランスへ遊学。パリとニースで古着と骨董、最新モードの試着に明け暮れる。今思えばこの91年までの3年間の体験がその後の人生を決定づけた。気の向くままに自分を知る人もほぼいない環境の中で趣味の世界に没頭できた事は大きかった。帰国後、南仏カルカッソンヌに本社のあるデニム、カジュアルウェアメーカーの企画として5年間活動。ヨーロッパでは日本製デニムの評価が高く、このジャンルであれば世界と互角に戦える事を痛感した。そこでデザイナーの職を辞して岡山の最新鋭の設備を持つデニム工場に就職。そこで3年間リアルな物作りを学ぶ。ここで古着全般の造詣に工場目線がプラスされた。岡山時代の後半は営業となって幾多のブランドのデニム企画生産に携わった。中でも97年ジルサンダーからの依頼でデニムを作り高い評価を得た。そして98年、満を持して自己のブランド「Slowgun & Co(スロウガン) / http://slowgun.jp 」をスタート。代官山の6畳4畳半のアパートから始まった。懐かしくて新しいを基本コンセプトに映画、音楽等のサブカルチャーとファッションをミックスした着心地の良いカジュアルウェアを提案し続け、現在は恵比寿に事務所を兼ね備えた直営店White*Slowgunがある。趣味は旅と食と買い物。