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STORY

超フィクション・ヴィンテージデニム小説 『ヘレンの、デニム畑でつかまえて。』

「おい!ヘレン!お前って奴は何て間違いをしてくれたんだ!! これじゃ袖の型紙を変えた意味がまるでないじゃないか!」
班長のジョセフはカンカンだ・・・。

私の名前はヘレン。生まれも育ちもサンフランシスコ。代々作業着の縫製工場で働く家系なのよ。母のナタリーも1890年から働き続け、今年で30年選手なの。わたしだって今年で10年目なのよ。元来我がメイ・フィールド家は器用な家系で母はサンプル縫製班の副班長。私も去年から抜擢され同じ班になったってわけ。新しいモデルの型紙が出ると、まず私たちがラインを組んで1枚縫い上げるのよ。そこで色々な問題を発見して修正、そしてその型紙が本生産ラインに入ると何十万着って数の服が出来上がってくるのよ。ホント責任重大、ストレス最大なポジションなの。

(この写真は私。後ろにいるのが彼氏のスティーブよ。入荷した生地の検反をしているところね。)

そう、あれは3日前の午後だった。班長のジョセフが母と私を呼んでこう言ったの。
「我が社のトラッカージャケットも遂に全面リニューアルになる。前モデルの袖は1パーツで出来ているシャツ袖だったから切り替えを入れて2枚袖にしてみたんだ。消費者からの陳情で一番多い手首の内側にカフスボタンが当たって痛いからなんとかしてボタン位置をずらしてくれってことの対策でな。

(この写真を見て。これが母ナタリーが作り続けてきたトラッカージャケットよ。ほら、手首の内側にボタンが来ちゃってるでしょ。食事前のお祈りの時なんかもテーブルにボタンが当たってカチャカチャうるさいのよね。)

2枚袖にすることで袖下じゃない切り替え線に明きを作れるんだよ。これで全て解決さ。それが新型のタイプ506って訳だ。ではナタリーは見頃を、ヘレンは袖を作ってくれ。3日で20着だぞ。縫製見本として各工場に配る為だ。絶対に間違えるなよ!もうこの縫製仕様で契約書を交わしたんだ。訂正は効かないからな。だいぶ先まで作り続ける我社の看板ジャケットの見本なのだからな!」

そりゃ確かに少しは慌てていたわよ。だってスティーブとフランスからやってきた素敵な内装のホテルでディナーの約束があったんですもの。アール・デコって言うらしいじゃない?結構好みかなーこういうシンプルな直線っぽい感じ。色もパステル調で可愛いし。そんなこと考えながら縫っていたら・・・。いけない、脱線したわ。そうなの、私が完全に間違えたのよ。今までの袖下の縫い目と新しい切り替え線をね。説明が難しいわね、写真を見て。


左側が私が間違えた逆明きカフス、右は本当はこうしたかった正解の仕様。正しく縫っていたら、ちょうど小指の付け根にボタンが来る感じかな。普通のシャツとほぼ同じ位置がこの右側ね。
今回修正する袖のパーツに切り替えを入れることって生地の使用量を減らすことにもなるのよ。パーツが小さくなると生地に型紙を隙間なく詰められるでしょ。それと前振り袖と言って手が前に出し易くなることもあるんだけど、ここまで袖が太いとあまり関係ないわね。まあ、とにかくカフスのボタン位置ずらしが最優先の型紙変更だったのに・・・。私ったら昔ながらの袖下のはぎ目にカフスを付けてしまったのよ!30年ぶりの進歩もこれで台無し!最後まで気づかず20着縫い上げてしまったわ。運の悪いことにホール明け&ボタン打ちのジョーも気付かず仕上げちゃったのよ。もう修正はきかないんですって。でも、今回のリニューアルの目玉って新しいXXデニムって言う分厚い生地になることもあるのよね。話題がそっちにいってくれれば良いんだけど・・・。とは言え、しでかしたのは私。責任感じちゃうのよねー。なので私は班長のジョセフに恐る恐るこう聞いてみた。

「次のモデルチェンジっていつになるんですか?その時は私、カフス付け絶対に失敗しませんから!!! 」
ジョセフは呆れた顔でこういった。
「次の予定は多分30年後の1950年頃、507型というロットナンバーで胸ポケットが2つになる予定だそうだ。俺なんざぁとっくに定年退職してるよ! ヘレン!次のサンプルを縫うのは君達の娘かもしれないな。」
遠くで聞いていたスティーブがニコリと笑った。あらあら、ホント、ワークウェア工場って走り出したら止められない蒸気機関車みたいなものなのね~。

※この物語は事実にもとづいたフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

Manabu Kobayashi

Slowgun & Co President小林 学

1966年湘南・鵠沼生まれ。県立鎌倉高校卒業後、文化服装学院アパレルデザイン科入学。3年間ファッションの基礎を学ぶ。88年、卒業と同時にフランスへ遊学。パリとニースで古着と骨董、最新モードの試着に明け暮れる。今思えばこの91年までの3年間の体験がその後の人生を決定づけた。気の向くままに自分を知る人もほぼいない環境の中で趣味の世界に没頭できた事は大きかった。帰国後、南仏カルカッソンヌに本社のあるデニム、カジュアルウェアメーカーの企画として5年間活動。ヨーロッパでは日本製デニムの評価が高く、このジャンルであれば世界と互角に戦える事を痛感した。そこでデザイナーの職を辞して岡山の最新鋭の設備を持つデニム工場に就職。そこで3年間リアルな物作りを学ぶ。ここで古着全般の造詣に工場目線がプラスされた。岡山時代の後半は営業となって幾多のブランドのデニム企画生産に携わった。中でも97年ジルサンダーからの依頼でデニムを作り高い評価を得た。そして98年、満を持して自己のブランド「Slowgun & Co(スロウガン) / http://slowgun.jp 」をスタート。代官山の6畳4畳半のアパートから始まった。懐かしくて新しいを基本コンセプトに映画、音楽等のサブカルチャーとファッションをミックスした着心地の良いカジュアルウェアを提案し続け、現在は恵比寿に事務所を兼ね備えた直営店White*Slowgunがある。趣味は旅と食と買い物。