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STORY

8年前のあの夜の続きを・・・。


探しても探しても、どうしても見つからない CD があった。スマッシング・パンプキンズ、1995年に発売された『メロンコリーそして終りのない悲しみ』2枚組のうちの2枚目である。この名盤はとにかく聞きまくった。マーク・ジェイコブスがインタビューでスマパン爆音が一番仕事が捗る、なんて読んだもんだから信じやすいボクは一時期ずっとスマパンだった。特にこの2枚組のアルバムは最高にお気に入りだった。しかし、突然そこまで思い入れが強かったはずの CD が無くなってしまった。半ば諦めていたと言うより無くしたことすら忘れていた昨日、実家の片付けのために風呂場周りを整理していると、浴室専用ミニコンポ(カセット& CD !)の CD トレーにそのままになっていたのだ、あの夜のスマパンが。そして、その青いイラストを見た瞬間に8年前のことがフラッシュバックとなって蘇ってきた。

この鵠沼の家は98年に親と2世帯住宅として新しく建てた物だ。当時海外出張も多かったので、ドアノブから電気のいりきりスイッチまで世界各国からグットデザインな逸品を集め、カスタムしまくった思い出深い家なのだ。10年ちょい住んだ。しかし、娘の小学校のご縁から世田谷への引っ越しを余儀なくされた。悲しかったが東京ライフへの刺激を夢見てあきらめた。ただココは倉庫として古着、古本から思い出までそのまま置いておく事にした。

8年前のあの日・・・今夜が鵠沼の最後の夜、そして最後の風呂の時間となった。4畳半はある浴室の3Mの天井には当時出たばかりの BOSE 防水スピーカーを埋め込んであった。好きな音楽を聞きながら半落ちでの長湯をするのが、酒を飲まないボクの夜のお楽しみだったのだ。しかしそれも今宵限り。ラストはどの CD にするか??ボクはスマパンを選んだのだ。それも割と代表曲の少ないこのアルバムの2枚目の方を。でも覚えているんだ。聞きたかったのは3曲目の『サーティー・スリー』そして11曲目の『ビューティフル』。ただ、感傷的になりたかった訳でもなく、住宅ローンが終ると同時に倉庫と化す悲しみを紛らわすにはラウドとロマンスが交互にやってくるこのアルバムが最後にふさわしく思えたのだ。しかし思う程の感慨はなく、あっけなく風呂から上がったと記憶している・・・。ボクは手早く CD をデッキから取り出しポケットに入れた。そして帰りの車の中でありえない爆音でこの2枚目を聞き直したんだ。 YouTube 慣れしてしまうとアルバムをちゃんと通して聞く感覚がなくなっていることに気づく。大好きだった物と予期せぬタイミングで再開し、誰にも見られること無く爆音で聞き、そしてそれを噛み締める幸せを1人で味わった。飲んべえが夏の夜にビールをイッキ飲みして、毛細血管にしみていく感覚ってこんななんだろーなーなんて思った。音楽と思い出と、最高の再開を帰路の車中で果たしたのだ・・・。

実はもう1つお宝があった。カセットをイジェクトしてみると TDK のノーマルテープ46分が入っていた。ラジカセは電源が入らない。世田谷にはカセット再生装置はない。だから TDK は置いてきた。カセットの内容はこの2つのどちらかのはず。 RC サクセションの『ヒッピーに捧ぐ』が1曲目の文化服装の時友人が作ってくれたベストテープ。もしくはストーンズの『ワイルド・ホース』が1曲目の思い出の曲ベスト集。どちらに転んでも毛細血管に滲みる音源であることは確かだ。ボクの30年間が染み込んだカセットテープな訳だから・・・。


『メロンコリーそして終りのない悲しみ』スマッシング・パンプキンズ [CD](Amazonより)


The Smashing Pumpkins - Beautiful(Google Play Musicへリンクします)

 
Manabu Kobayashi

Slowgun & Co President小林 学

1966年湘南・鵠沼生まれ。県立鎌倉高校卒業後、文化服装学院アパレルデザイン科入学。3年間ファッションの基礎を学ぶ。88年、卒業と同時にフランスへ遊学。パリとニースで古着と骨董、最新モードの試着に明け暮れる。今思えばこの91年までの3年間の体験がその後の人生を決定づけた。気の向くままに自分を知る人もほぼいない環境の中で趣味の世界に没頭できた事は大きかった。帰国後、南仏カルカッソンヌに本社のあるデニム、カジュアルウェアメーカーの企画として5年間活動。ヨーロッパでは日本製デニムの評価が高く、このジャンルであれば世界と互角に戦える事を痛感した。そこでデザイナーの職を辞して岡山の最新鋭の設備を持つデニム工場に就職。そこで3年間リアルな物作りを学ぶ。ここで古着全般の造詣に工場目線がプラスされた。岡山時代の後半は営業となって幾多のブランドのデニム企画生産に携わった。中でも97年ジルサンダーからの依頼でデニムを作り高い評価を得た。そして98年、満を持して自己のブランド「Slowgun & Co(スロウガン) / http://slowgun.jp 」をスタート。代官山の6畳4畳半のアパートから始まった。懐かしくて新しいを基本コンセプトに映画、音楽等のサブカルチャーとファッションをミックスした着心地の良いカジュアルウェアを提案し続け、現在は恵比寿に事務所を兼ね備えた直営店White*Slowgunがある。趣味は旅と食と買い物。