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STORY

おばあちゃんの形見の眼鏡


鍵っ子だったボクは小学校低学年の頃から放課後はおじいちゃん、おばあちゃんに勉強を教わっていた。二人とも元小学校の先生だった。おばあちゃんは特に厳しかったが、ひとたび勉強が終わってしまえばとても優しく、戦前の女学生時代の思い出話などたくさん聞かせてくれた。おやつはいつも不二家のドーナツかカルケットという小判型のクッキーにテニスのナブラチロワがCMをしていたリプトンの黄色に赤の紅茶だった。昭和だから当然輪切のレモンを入れる。砂糖もたっぷり入れていた。その時に聞いた未だに覚えているおばあちゃんの初恋の話。大正時代に幼少期を過ごしたおばあちゃんは実は大卒で受験の時、英語の塾に通っていたそうだ。どうやらその先生が初恋の人で、英語の日は木綿の靴下の下にシルクの靴下を2重に履いて女学校へ行き、帰りに木綿を脱ぎ捨てて英語を学んでいたそうだ。『いい、まなちゃん、シルクの靴下を履きたくなる気持ち、これが恋なのよ。』そうリプトン紅茶を飲みながら教えてくれた。X,Yの方程式は全て忘れたが、このなんとも刺激的で微笑ましいシルクの話は未だにはっきり覚えている。そんなおしゃれなおばあちゃんがある時、ぼくに見せてくれたのがこの眼鏡だった。『おばあちゃん、作ったのよ。これ亀の甲羅でできてるんだから。』ボクが小学生か中学生ギリギリの頃だったはずだから70年代の終わりって事になる。おばあちゃんといえば銀ふちめがねの印象が強かったため、その時は結構攻めてるなーって思った記憶と海亀というワード、そして17万もしちゃったっのよの一言。それ以来、気にはなっていたものの、すっかり忘れていた。そして先日、姉貴が俺のパリの写真を持って来てくれた母の誕生会の時、その鼈甲眼鏡の事を切り出してみた。すると、なんとおばあちゃんは母に自分の形見として生前手渡していたのだった。数日後、実家に立ち寄りその眼鏡を受け取った。母は自分には似合わないという事、大事にしまい込みすぎて取り出してみたら虫に食われていてショックだったことを教えてくれた。うーん、記憶よりフレームがだいぶ細めであったが、逆に昭和の政治家のようなボリュームだったら素材が強すぎて日常使いは無理だったかもしれない。手に取ると目が大きく見える牛乳瓶の底のような極厚レンズが入っていた。すぐに近所のメガネ屋さんでメンテナンス&サングラス化してもらい、禁断の熱曲げフィッティングも依頼した。少々柄の部分は短いものの、身長160センチをゆうに越えていたおばあちゃんなのでサイズはボクでもギリギリ大丈夫そうだ。そして今ではルノーキャトルでの通勤時のサングラスとして活躍している。この形見の眼鏡の復活劇を一番喜んでいるのは母曰く親父らしい・・・。

Manabu Kobayashi

Slowgun & Co President小林 学

1966年湘南・鵠沼生まれ。県立鎌倉高校卒業後、文化服装学院アパレルデザイン科入学。3年間ファッションの基礎を学ぶ。88年、卒業と同時にフランスへ遊学。パリとニースで古着と骨董、最新モードの試着に明け暮れる。今思えばこの91年までの3年間の体験がその後の人生を決定づけた。気の向くままに自分を知る人もほぼいない環境の中で趣味の世界に没頭できた事は大きかった。帰国後、南仏カルカッソンヌに本社のあるデニム、カジュアルウェアメーカーの企画として5年間活動。ヨーロッパでは日本製デニムの評価が高く、このジャンルであれば世界と互角に戦える事を痛感した。そこでデザイナーの職を辞して岡山の最新鋭の設備を持つデニム工場に就職。そこで3年間リアルな物作りを学ぶ。ここで古着全般の造詣に工場目線がプラスされた。岡山時代の後半は営業となって幾多のブランドのデニム企画生産に携わった。中でも97年ジルサンダーからの依頼でデニムを作り高い評価を得た。そして98年、満を持して自己のブランド「Slowgun & Co(スロウガン) / http://slowgun.jp 」をスタート。代官山の6畳4畳半のアパートから始まった。懐かしくて新しいを基本コンセプトに映画、音楽等のサブカルチャーとファッションをミックスした着心地の良いカジュアルウェアを提案し続け、現在は恵比寿に事務所を兼ね備えた直営店White*Slowgunがある。趣味は旅と食と買い物。