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STORY

今見ヨ イツ見ルモ

 

年末になると物欲が強くなるのは世の常。季節限定のモラトリアムに自らを甘やかしているような気もするが、子供のころに「正月が近づくと新しい下着を買ってもらっていたあの感じ」の名残だろうか。それとも、単純に師走になると人と会う機会が増える、つまり出会いの結果なのだろうか。いずれにしても、2022年末に僕が購入したものを雑然と紹介してみる。




アレッサンドロ・ミケーレがGUCCIを退任すると聞いて「わー、残念。記念に何か欲しいなー」と思っていたところ、ブランドのオフィシャルサイトで見つけたサングラス。パンスネ(鼻を挟む)スタイルモチーフで、クリップみたいな鼻あてデザインとグラスホルダーらしきチェーンがインパクト大。「わ、素敵だ。これにしよっと」なんて思いながらも何となく師走の忙しさにかまけて後回しになっていた、ある日。恵比寿のショウルームまで打ち合わせに出かけた僕は16時と6時を勘違いして2時間前に現場着。18時からですよと言われて「うわ、逆じゃなくてよかった」と胸を撫でおろしつつも、持て余したぞ、2時間。ミーティングまでの時間を恵比寿で飲みながら潰してもよかったのだが、そうすると、18時になる頃にはショウルームではなく2軒目の酒場に向かってしまいそうな嫌な予感がしたのでグッと堪えた。堪えた結果、ポンとサングラスのことを思い出して、表参道へ。クリスマスムードのイルミネーションには目もくれず、GUCCIへ入店。さっそく話しかけてくれたスタッフのお兄さんに「チェーンが付いたサングラス」を出してもらい、その5秒後には「これをひとつください」と言っていた。その後、ぶらりと表参道を流しながらComme des Garçonsを覗いたところ、妻へのクリスマスプレゼントを買っていないことを思い出して、適当な香水をひとつ包んでもらった。ホッピー酒場をはしごするようなノリでブティックをはしごし、まぐろ納豆を注文するかのようにサングラスを買い求めた。



 

別日、高円寺。元・BEAMSの大島氏がやっている古着屋へ打ち合わせに。撮影とミーティングを終えた後、元・BEAMSロンドンオフィスのテリー・エリス、北村恵子夫妻がはじめたお店「MOGI FOLK ART」に行ってみたいと僕が言い出したので、大島氏に付き合ってもらうことにした。エリスさん・北村さんのふたりには昔(20年以上前)からよくしてもらっていたし、1980年代の日本にヨーロッパのハイファッションを持ち込んできた二人の審美眼にはいつも刺激を受けてきた。彼らが2003年にBEAMSで始めたFennicaというレーベルは、いまでこそ「ライフスタイルに民芸品を取り入れる」的ライトな切り口でお茶の間にまで浸透した価値観を、20年前に50倍先鋭的に立ち上げたものだった。5年前に僕がヘルシンキを一人旅したときは二人がVUOKKO(三宅一生氏も敬愛する伝説的デザイナー)のショウルームに連れて行ってくれたし、その晩にディナーを食べながら話した二人の目にはHELMUT LANGもROMEO GIGLIもGEROGE CLEVERYのビスポークもやちむんもフィン・ユールも、そのどれもが同じ強度の美意識に基づいて映っていることを再確認した。

ということで「MOGI FOLK ART」に入店後、店内のセレクションの熱量からBEAMS時代とは違う二人の本気みたいなものを感じ取った僕は、気づいたら器を3点ほどピックアップしてカウンターに乗せていた。アフリカ風のジグザグ柄など、ちょっと強めの個体ばかりだったからか「鶴田くん、選んだの全部黒っぽいね」と荷解きをしながら北村さんが言った。「いや、沖縄も小鹿田も出西も、白っぽいのは昔からたくさん持っているので」と答えたところ「そうなの、白いのはこれまでもFennicaで散々売ってきたから、今は黒っぽいのを売りたいのになぜか白いのばかり売れて悔しいのよね」と笑った後に「使いづらいのかしらね?黒っぽいの」と訊かれた。「この黒いの(写真下)に、インゲン豆とかブロッコリーみたいなコントラストが好きなんですけどね」と返した僕の横で、エリスさんが「Green is perfect」とうなずいていた。





そしてブロッコリーの代わりに皿の真ん中に乗っているのがPRADAのカードケース。元々、僕は10年以上もの間、財布を持たずにコインケースとカードケースだけで生活してきた。紙幣はジャケットの内ポケットに裸で突っ込んでいた。手ぶら好きでカバン嫌い。なおさら長財布とか三つ折り財布とか、かさばるボリュームを身に着けて持ち歩くのが大嫌いだった。それで満足していたので、10年以上使ってきたカードケースが先日ついに逝ってしまったとき、買い替え候補はやはりカードケース一択だった。もっと薄型でもいいくらいだけど、とりあえず、内ポケットの裸銭は止めることができそうだ。PRADAのこれは艶めくサフィアーノレザーに、まるでアフリカンアートのように有機的な曲線美のマネークリップが付いていて、美しい。プリミティブな器にもどことなくぴったりだ。




ということで、今年も色々と買い物してきたけれど(他にも真っ青なレザーグローブやrenomaのコート、など)さすがに25年も洋服屋をやっていると、自分の選択にも自信がついてくるのか。迷うことがほとんどない。直感でイケる。こと、洋服に関しては自分がうまく着ることさえできればいいわけなので、他人の想定の内だろうが外だろうが一切構わない。「それ、どこの?」と訊かれた後に、「あ、そんなのも着るんですね」とか「意外だね」とか「そうとは見えませんね」なんてセリフを相手から引き出すことができれば、上々でしょう。若いころはGUCCIやPRADAを着るなんて「ブランドが歩いているみたいでイヤだ」と思っていたけれど、大きな名前に負けない自信が付いてきたころになってようやくブランドはブランドとして機能するような気がする。それはノーブランドとブランドがフラットになる世界。自信とは他人に対してのものではない。名前は自分自身のもの、それひとつでいい。あと20時間もすれば除夜の鐘が鳴り始める、2022年の師走にて。来年も、初めて過ごす年のように暮らせますように。



Satoshi Tsuruta

NEJI Organizer鶴田 啓

1978年生まれ。熊本県出身。10歳の頃に初めて買ったLevi'sをきっかけにしてファッションに興味を持ち始める。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻に興味を持てず、アルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを本格的に決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆などを16年間にわたり手がける。2021年、22年間勤めたビームスを退社。2023年フリーランスとして独立、企画室「NEJI」の主宰として執筆や商品企画、スタイリング/ディレクション、コピーライティングなど多岐にわたる活動を続けている。同年、自身によるブランド「DEAD KENNEDYS CLOTHING」を始動。また、クラウドファンディングで展開するファッションプロジェクト「27」ではコンセプトブックのライティングを担当し、森山大道やサラ・ムーンら世界的アーティストの作品にテキストを加えている。