いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日(あす)の月日は ないものを
大正時代の流行歌「ゴンドラの唄」(作詞:吉井勇)にそんな一節がある。


MANHOLEがULTERIORに別注したツイードのセットアップ。ちょっとロマンチックな形のジャケットにバスケショーツというミスマッチ。シルク×ウール。メタルボタン×ドローコード。1970年代×1980年代。黒×ベージュ。ココ・シャネル×マイケル・ジョーダン。エレガント×スポーティ。異なるふたつがひとつになって、原型が無くなるほど溶け合ってしまえば、お互いがそもそも何者であったかなんてことはいずれどうでもよくなる。そんなコンセプトを元に始めた企画。そして、ルック撮影。女×男。

男女それぞれに一体ずつセットアップのコーディネートを用意。それとは別に、使い方を決めていないアイテムを数点だけ車に積んでおく。現場間を移動しながら、ふたりに着せつけたコーディネートを頭の中で微分積分していくと新たな景色が姿を現す。少しずつコーディネートを切り崩し、アイテムを入れ替えたり取り替えたりしながらロケーションごとのライブ感を楽しむ工程。即興で生まれるコーディネート。徐々に変化していくモデルのふたり。


あかき唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日(あす)の月日は ないものを

ゆっくりと生き物のように変わりゆく、ふたりの衣装。男性が女性を通過して再び男性になったとか、あるいはその逆だとか。いずれでもない感覚でファッションの姿かたちは移ろっていく。ふたりの周りにある空気が震えを止め、街角のざわめきが静まり返る瞬間。太希さんはすかさずシャッターを切る。



色彩が何処かへ飛び去り、あとに残されたふたりの人間は「白黒」でも「男女」でもない強く柔らかな存在となり、ただ其処にいた。変わりゆくことだけが変わらない世界。
黒澤明「生きる」(1952)の中で、余命いくばくもない主人公(志村喬)がブランコを漕ぎながら「ゴンドラの唄」を口ずさむシーンはあまりにも有名だが。たとえ余命宣告を受けていないとしても、全てのいのちは短し。強迫観念とかそういった類のものではなく、毎日の自分にハッピーバースデーを歌う気分で、いまは無性に何かを作りたい。あかき唇、褪(あ)せぬ間に。恋せよ乙女。
ALL PHOTO by TAIKI KASUGA














