少し肌寒い。駅前で銀杏の葉が風に舞い始めるころ、そういえば昨年の秋にスウェットシャツを何着か購入していたことをフッと思い出した。友人のアートギャラリーで購入したものには陶芸家・桑田拓郎氏の作品がキッチュにフォトプリントされている。古着屋で適当に買った2着はカラフルなボディカラーに惹かれた。

ミントグリーンの方はUPSの配達員や車両のプリントが可愛らしく、黄色い方は1990年クリントンハイスクール卒業記念のクラススウェット。寄せ書きのサインがにぎやかだ。ボディはどちらもFRUIT OF THE LOOM製だった。すべてに共通するのは「貫禄がない、可愛くて軽い感じ」。僕はジャケットやコートなどのシリアスな重衣料が好きなので、それらのインナーに「可愛いスウェットでも着たら、おじさんの可愛さをアピールできるかも」と思っていたのだろう。

もはや世界的アーティストになった桑田氏の作品にはいつもドキドキさせられる。スムース&ラフな質感。丸くて鋭いフォルム。可愛いのに、ドキドキ。このスウェットはすっかりパジャマになっていたけれど、最近は着て出かけるようにもなった。
そして、黄色いスウェットのサイズ感。身幅43㎝ / 着丈57㎝は178㎝ / 68㎏の僕にはどう考えても小さすぎる。でも、可愛いスウェットを小さめサイズで着たらさぞ可愛いだろう思ってありえないほど小さいサイズを選んだ。
着丈も短いし袖も細い。脱力スーツの中に着ても、その小ささがビシビシ伝わってくる。
着心地が悪い。窮屈。スウェットシャツのくせに。
「大脱走」に出てくるブルーのカットオフスウェットがジャストサイズに見えるのはスティーブ・マックイーンの身体が鍛え上げられているから。僕のスウェットがピタピタに見えるのは実際にSサイズだから。小5の娘に着せても、そんなに大きくないと思う。衣装部屋から引っ張り出して洗濯していたら、娘に「そんな服、持ってたっけ?」と訊かれたので「持ってたよ。これ、けっこう小さめだからあげようか?着る?」と返したら「要らない」と一蹴された。派手過ぎるそうだ。そうか…。カワイイのにな…。

そういえば、CLASS OF 90。1990年に高校を卒業したのだとしたら、ここにサインを寄せ書きした学生たちは今頃50歳。クリントンの若者だった彼らもすっかり大人になり、現在はどこでどう暮らしているのだろう。CLASS OF 96だった僕は、熊本の片田舎にある県立高校を卒業した後、東京へ進学し、洋服屋でバイトを始め、そのままフェードインでファッション業界に就職。ワケも分からないままでファッションに身を投じ続け、いまだにスウェットシャツのサイズを上げたり下げたりしながら遊んでいる。卒業から27年が経とうというのに。

先日、RAF SIMONSがブランドのクローズを発表した。僕が高校を卒業する直前に、スリムなハイスクールスタイルで衝撃のデビューを飾ったブランドが27年の歴史に幕を閉じた。近年は店頭でもグラフィックやプリントに頼ったコマーシャルピースの割合が増えていたので、気になってはいたのだが…。それにしても、RAFの本当の才能はユースカルチャーの伝道師的なカリスマ性よりもむしろ、新しいシルエットを構築することができる彫刻家のような一面にあったと思っている。極端なスモールフィットも破壊的なビッグシルエットもテーラードアイテムのコンストラクションも、メンズ服のフォルムはRAF SIMONSによって大きく可能性を広げられてきたはずだ。少なくとも僕は多大な影響を受けてきた。エフォートレス的な自然体シルエットを打ち出すブランドの隆盛とオンラインショッピングの一般化に伴ってサイズフィッティングの重要性は極めて弱体化してしまったかもしれないが、果たしてどうだろう。サイズ選びという行為には自分の内面を反映するその時々の気分がなにかしらの形で宿っている。色も素材もシルエットもサイズも、「選ばないこと」と「選べないこと」とでは随分と程度が違うだろう。感受性まで弱体化してしまわないためには「なんでもありだけど、なんでもいいわけじゃない」。僕は自分自身に関して、そうありたいと思っている。














