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STORY

下着、または若者のすべて


「どんな下着つけてんの?」

なんてオジサンが言うと、どこのド変態だ?って感じになるけれど、MANHOLEのためにCLASSが作ってくれたタンクトップが調子いい。ベーシックなバランス、針抜きのメッシュ生地、白・黒・トープ・赤・緑という五色のバリエーション。アンダーウェアとしての快適性は勿論のこと、普通にコーディネートの一部に取り入れても立体感のあるボリュームが助演男優賞並みの存在感をきっちりとアピールしてくる。せっかくなのでルックを作ることにしたんだけど、タンクトップってコーディネートもへったくれもないくらい只タンクトップそのものなので、どんな感じで撮ればいいかな、と。

思案の結果「白いブリーフと組み合わせて撮影する」ことを思い付いた。






白いブリーフ。これは僕にとって、抜群にアンディ・ウォーホルを連想させるメンズ服だ。PHILIPS製のレコード盤を手に持ち、鏡越しにこちらをこちらを見ているウォーホル。上半身には1970年代調のシャツを着ているが、下半身は白いブリーフ姿(ズボンが膝までずり落ちている)。しかも、尻の部分は破れて穴が開いている。20代の頃にこの写真を見て衝撃を受けた僕の頭の中には「白いブリーフ=アンディ・ウォーホル」という図式が出来上がってしまった。勿論、それ以前にも(1990年代?)ブルース・ウェバーによるカルバン・クラインの下着広告を目にしてはいたはずだが、いや目にしていたが故に「白いブリーフ=筋肉隆々のマッチョ男子が着るもの」というイメージが刷り込まれていた。僕の中に根付いていたソレを木っ端微塵に粉砕したのが、カルバン・クラインの広告よりも前に撮られた(ある意味では反・マッチョ主義ともいえる)ウォーホルのポートレートだった。ちなみに、このポートレートへのオマージュ的に撮られたと思われるのがウォルフガング・ティルマンスによるベルンハルト・ウィルヘルムのポートレート(2001)だ。見た瞬間に「ウォーホルだ」と思った。そういえば、アンディ・ウォーホルがデザインしたザ・ローリング・ストーンズ「スティッキー・フィンガーズ」のレコードジャケット。かの有名なジップフライのデザインだが、あちらもジャケットの内側にはジーンズを脱いだ白ブリーフ姿男性の股間が映し出されている。ウォーホルにとって白いブリーフは何かの象徴なのだろう。

で、そうそう、話は白いブリーフではなくタンクトップ。







ほとんど裸に近い下着姿(タンクトップ+白ブリーフ)の上から、アーカイブを含めたCLASSのハイファッションアイテムを身に着けていく若者たち。




存在感の強いアイテム群に混じってなお、キャラクターを存分に発揮してくるCLASSのタンクトップと三人の若者たち。そもそもタンクトップが際立つようにスタイリングしてあるので当たり前と言えば当たり前だけど、それでもやはり、根底にはこのタンクトップ本体の高い完成度と彼らの個性がある。

クラシシズムに則れば、シャツは下着。下着の原型を残したドレスシャツの下に、さらに下着となるTシャツやタンクトップを着るのは邪道。そう教えられてきた。きっとそれはある意味で正しい。ただそれはあくまでも「ある意味」という鍵括弧付きのものである。僕はクラシックなドレスシャツを企画することもあるが、しかし、別にそんなことはどっちでもいいと思っている。同じ意味で、タンクトップを下着だとは思っていない。白いブリーフ姿で、自身の中にある何かを主張してきたアンディ・ウォーホル。ウォルフガング・ティルマンス。ベルンハルト・ウィルヘルム。おそらくそれはセックスアピールでもなんでもなく、もっと内面的なことだと思う。つまり、肌に最も使いところで身に着ける下着には、肌のさらに下にある内臓とその中心にある精神性が大きく反映されているのかもしれない。だからこそ、下着を他人に見せるという行為には強さが伴う。「下着みたいなカッコで街中をうろうろしてる」なんて、若い女子を表面的に揶揄するオジサンたちは、もっと内面を掘り下げた方がいいのかもしれない。なにか(性以外に)主張があるのかもよ。

このコラムの冒頭に登場した若者たちは、タンクトップに白ブリーフという下着姿だけど、みんな抜群にカッコいいと僕には思える。きっと目の色が堂々としているからだろう。



Satoshi Tsuruta

NEJI Organizer鶴田 啓

1978年生まれ。熊本県出身。10歳の頃に初めて買ったLevi'sをきっかけにしてファッションに興味を持ち始める。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻に興味を持てず、アルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを本格的に決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆などを16年間にわたり手がける。2021年、22年間勤めたビームスを退社。2023年フリーランスとして独立、企画室「NEJI」の主宰として執筆や商品企画、スタイリング/ディレクション、コピーライティングなど多岐にわたる活動を続けている。同年、自身によるブランド「DEAD KENNEDYS CLOTHING」を始動。また、クラウドファンディングで展開するファッションプロジェクト「27」ではコンセプトブックのライティングを担当し、森山大道やサラ・ムーンら世界的アーティストの作品にテキストを加えている。