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STORY

死に至らない病


MANHOLEの中で仕事をするようになってから、ファッションビジュアルを作る機会が増えた(以下の写真参照)。要は販促のためのアドバータイズメントなんだけど、特定の洋服をカッコよく見せることが主題なので、そこには必然的にスタイリングやコーディネートという仕事が発生する。スタイリングとコーディネートの違いは言わずもがなだろうけれど、ともかく僕は昔からスタイリング/コーディネートという作業が好きで楽しくて仕方ない。モノフェチ/コレクターの気質はほとんど持ち合わせていないので、「洋服好き」と一言で括られる人種の中でも僕は自らスタイリングするためだけに洋服を何千着も買い続けてきたと言っていい。一般的には「いや、自分で着ない服なんかそもそも買わないでしょ」と言う声もあろうが、「洋服好き」の中には「所有するだけで嬉しい」人もいたりするので一応区別しておく(コレクターを否定するつもりは全くない)。


スタイリングには着用者が必要で(一部、必要としない場合もあるが)、着る人のキャラクターや体格、目の色、肌の色、そもそも撮影自体のコンセプトに合わせてスタイリングは千変万化する。現場にいる全員がコミュニケーションを惜しまず同じ方向を向き、各自(ディレクター、カメラマン、照明、ヘアメイク、モデル、スタイリスト)が担当する繊細な作業を積み重ねていくのだから、一枚の画を作り上げるためには相当な労力と感性が必要とされるだろう。元々、僕には若いころから好きなスタイリスト(及び、その作品)がいたけれど、最近は自分もビジュアル作りの一端を担うようになったおかげで尚更その仕事内容に目が行くようになった。




僕は毎日違うコーディネートで出かけるが、洋服を決めるときにあまり時間をかけない。自分自身のことはある程度分かっているので、朝の5分ですぐに決まる。20年以上、毎日違うコーディネートだとして、単純に365×20=7300体のコーディネートを自分自身のスタイリングのために用意してきたことになる。また、前職時代には旗艦店でVMDを10年以上担当していたので店内にある20体のマネキンコーディネートを最低でも1日1体は(多いときは10体まとめて)着替えさせていた。控えめに見積もって年間250体×10年で2500体。また、25年近くも洋服屋を続けていると数万回は店頭で接客していると思うのだが、僕はコーディネートを軸にご案内するタイプなのでお客さんへ個別に提案するスタイリングを含めて全てを合計すると最低でも累計2~3万体くらいはスタイリング/コーディネートをやってきたらしい。着せ付ける相手は自分自身だったり他人だったり、マネキンだったりトルソーだったり様々だけれど、その瞬間瞬間で作りあげては消えていく行為に臨場感やライブ感が肉薄していて、なんとも言えない病みつき状態に陥ってしまうのだろう。おそらく、僕は「洋服を見ると反射的にスタイリングやコーディネートを考えてしまう」という病を患っている。スーツ売り場にいた時期もヒマな時間を見つけてはテーブルの上でVゾーン(+シューズやソックスまで)のコーディネートをひたすらに繰り返していた。うまくいくときもいかないときも、楽しかった。

そもそも、僕はなぜコーディネートやスタイリングが好きなのだろうか。映画が好きだからだろうか。「風景の中に人間がいて、結果的にその人間が何らかの形で組み合わせられた洋服を着ている」という順序で考えているのかもしれない。つまり、洋服単体が好きなのではなく、「洋服と洋服」「洋服と人間」「洋服と風景」といった組み合わせが好きなのだと思う。




それは想像と創造。




自分自身が身に着けるコーディネートや目の前にいるお客さんに勧めるコーディネートは勿論のこと、洋服の組み合わせを考えるという行為は何故だか僕に愉しみを運んでくる。うまく形に出来た時には何とも言えない達成感が遅れてやってくる。一方で、パターンや縫製技術を熟知してカッコいいい洋服そのものを作り上げることが僕にはできない。音楽理論や楽器を駆使して素晴らしい曲を書くことも僕にはできない。人生観を変えるような映画を撮ることもできない。人からお金を貰うに値するほど美味しい料理を作ることもできない。勿論、別に今からだって長い時間と強い情熱を注いで努力すれば音楽も映画も料理も少しくらいは力が届く瞬間を得ることができるのかもしれないが、それ以前に、根本的に、おそらく僕はそれらの努力をこれまでに続けることが出来なかったからこそ、今も「できない」ままなのだと思う。0から1を生み出す人々に対して、僕は昔から憧れと嫉妬を抱いてきたにもかかわらず、そのための努力すら始めることが出来ないままでいた。フィルムカメラもベースギターも、長続きしないですぐに放り出してしまった。





そんな僕にとって「毎日コーディネートを考える」ことは不思議と苦ではなかった。先輩から「ポケットチーフ一枚でもいいから、毎日違う格好をして店に来い」と言われた20数年前、そりゃ初めのうちは悪戦苦闘の連続だったし、生みの苦しみなんて高尚なものには遥か及ばないくらいダサいコーディネートしか思いつかなくて、「イマイチだなぁ」と思いながらも勢いで家を飛び出してきたのはいいが出勤途中でガラスに映る自身の姿を横目で見るたび、そのままUターンして家に帰りたいほどの恥に襲われていた。

古代ギリシャ人は「才能×教育×訓練」の掛け算で成果の程度が決まると考えたらしい。「教育」は「環境」に、「訓練」は「自発的な行為の反復・継続」に言い換えることができるとして、現在の僕は「訓練」を「努力」とも思わないほど日常的にスタイリング/コーディネートに思考を飛ばしながら生きている。他人から頼まれもしないのに膨大な量と時間を自ら費やしてなお、飽き足らぬもの。自分自身の「才能」が果たしてどのような形をしているのか。人生の復路を走りながら未だに見えない部分もあるが、少なくとも僕の場合は「0から1を生み出す」ことよりも「xにyを掛ける」ことに楽しみを見出だしているような気がする。それは「洋服×人間=∞」というスタイリングによく似た数式なのかもしれない。

Satoshi Tsuruta

NEJI Organizer鶴田 啓

1978年生まれ。熊本県出身。10歳の頃に初めて買ったLevi'sをきっかけにしてファッションに興味を持ち始める。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻に興味を持てず、アルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを本格的に決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆などを16年間にわたり手がける。2021年、22年間勤めたビームスを退社。2023年フリーランスとして独立、企画室「NEJI」の主宰として執筆や商品企画、スタイリング/ディレクション、コピーライティングなど多岐にわたる活動を続けている。同年、自身によるブランド「DEAD KENNEDYS CLOTHING」を始動。また、クラウドファンディングで展開するファッションプロジェクト「27」ではコンセプトブックのライティングを担当し、森山大道やサラ・ムーンら世界的アーティストの作品にテキストを加えている。