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STORY

別れの情景(板橋チャーハン)

  うちの近所にある町中華。自宅から徒歩5分の場所にこじんまりと佇むその店は、二代目店主とその奥さんが二人で切り盛りする老舗の中華屋(昭和38年創業)だ。軒先の赤いのれんやピンク色をしたカウンターが「いかにも昭和」な雰囲気で、僕のノスタルジーを存分に擽(くすぐ)ってくる。12年くらい今の町に住んでいる僕がこの店のことを知ったのは比較的最近の話で、それ以前は(より自宅に近い)もう一軒の中華屋にずっと通っていた。以前にも書いた通り、その店では大将が中華鍋の振り過ぎで肘の腱を痛めてしまい、幾度かの休業を繰り返した末に、とうとうメニューから「チャーハン」が姿を消してしまった。麺類や餃子、夏場の冷やし担々麺を食べるため今でもその店には通うのだけれど、あの大将にはもうチャーハンは作れない。僕にはもう歌は作れない。大盛りのチャーハンを炒める中華鍋は、おそらく僕らが思っているよりもずっと重いのだ。自宅近くでチャーハン難民になっていた僕が見つけたのがこの店だった。

 

 ワンタンメン、650円。

このお店は何度かメディアに登場したことがあるようで店内には「○○で紹介されました」と透明にパウチされたポップが貼り出してある。三~四年前、初訪の際にカウンターで料理を待つ間、携帯で調べてみたところ、どうやらこの店は「板橋チャーハン」として某有名TV番組で取り上げられたチャーハンの有名店らしい。「板橋チャーハン」とは「パラパラ系」ではなく「しっとり系」のチャーハンを出す店が区内の町中華に多い、ということを意味する。

 

 餃子、500円。

 

 ラーメン類は、いわゆる「ノスラー」(=ノスタルジックラーメン)の味。餃子もそれに準ずる。特筆すべき点はないけれど、飽きずに食べられる感じ。ずっとそこにあって欲しい。つまり、町中華の必須項目だと思う。

 

 チャーハン、650円。

 

 そして問題の「板橋チャーハン」。確かにややしっとりしている中にあって、炒めても食感がしっかり残っている玉ねぎがアクセント。この玉ねぎから出る水分がしっとり感の根源なのか。そして、何よりも見た目が可愛い。お玉でドーム型に盛られたチャーハンの頂には刻んだチャーシュー。ふた粒のグリーンピースが画竜点睛。塩コショウのバランスも好みの味。ついに自宅近所でのチャーハン難民生活を抜け出すことができた僕は、二軒の町中華を使い分けながら昼間の瓶ビールを楽しむなどして、地味~な享楽と堕落にまみれた板橋ライフを送っている。しかし、今この記事を書きながら調べていたら、ちょっと不穏な情報を目にした。少し前にYOU TUBEでここのチャーハンが紹介されたらしく、最近では店の前に並びが出来ている。更に、2022年6月スタートのテレビドラマでこの店がロケ地として使われるらしい。僕がここで書いたくらいじゃ増えないであろう集客が劇的に増えてしまうかもしれない。「板橋チャーハン」なるものを世に広めた「マツコの知らない世界」は2015年のO.A。そのほとぼりはさすがに冷めたのか、僕が通い始めたころには比較的落ち着いて入店できていたのに。ひいきの店が潰れずに繁盛してくれるのはうれしいけど、行列は勘弁してほしい。僕は飲食店に並ぶのが大嫌いなので、このままでは難民に逆戻りである。第一、忙しすぎると、こっちの大将まで肘壊しちゃうだろ。いつまでもあると思うな親と金。いつまでもあると思うな町中華。近年ではコロナや駅前再開発などの外的要因で惜しまれつつ閉じてしまった名店は数知れず。マズウマのノスラーと呼ばれようとなんだろうと、お洒落に整えられた真っ白な味にすべてを塗り替えられる前に、近所の古びた町中華には今すぐ行っとけ。町中華で飲(や)ろうぜ。時代は変わる。最近特にそう思う。

 

 

Satoshi Tsuruta

NEJI Organizer鶴田 啓

1978年生まれ。熊本県出身。10歳の頃に初めて買ったLevi'sをきっかけにしてファッションに興味を持ち始める。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻に興味を持てず、アルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを本格的に決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆などを16年間にわたり手がける。2021年、22年間勤めたビームスを退社。2023年フリーランスとして独立、企画室「NEJI」の主宰として執筆や商品企画、スタイリング/ディレクション、コピーライティングなど多岐にわたる活動を続けている。同年、自身によるブランド「DEAD KENNEDYS CLOTHING」を始動。また、クラウドファンディングで展開するファッションプロジェクト「27」ではコンセプトブックのライティングを担当し、森山大道やサラ・ムーンら世界的アーティストの作品にテキストを加えている。