肩パッド入りのボクシーなジャケットは90年代ムード満点だが、フレアなパンツを合わせると何故か気分がいい。「10年単位で無理やりに区切ったリバイバルスタイル」という手法はとっくに古くなっているし、もはやメディアが作り上げたハイプとして死に体を晒しているどころか、だーれも気にしていない。「Y2K」なんて言葉考えたのは、たぶんどっかの年寄りでしょ。ワイドショーっぽいよ。
スクエアなカフスにダブルボタン。逆に剣ボロボタンは付いていない。ネクタイで見えていないけど、フロントは比翼仕立て。「なぜ、この仕様にしたんですか?」と聞かれることも多かったけれど、言葉ではうまく説明しづらくて、毎回「なんとなく」と答えることにしていた。これはもう、僕の個人的な趣向を詰め込んだシャツでしかないなぁって、着るたびに思う。我ながら。
そうそう、ドレスシャツを買ってくれた若い子たちから頻繁に聞いた言葉は「カッコいいベルトが欲しい」。今まで裾出しでシャツを着てきた若い子たちは、たしかにカッコいいベルトを持っていないのかも。いや、ウエストにゴムが入ったズボンばかり穿いている大人も同じことか。真剣に考えてみようかな。ベルト。なんて具合に、個人的なこと断片的なことを拾って集めて形にしていたら、それが偶然ある方向に向かっていくことがある。その様子を遠くで見ていた赤の他人が、後付けの言葉で勝手に名前を付けたりするから「Z世代」みたいなことになるんでしょ。2020年代生まれの世代に対しては、すでに「α(アルファ)世代」という呼称まで用意されているらしい。まだ生まれてもいないというのに。頼まれもしないのに他人の名前考える暇があるのなら、自分のことやんなさいよ。そういえば、このシャツ、タグ付けるの忘れてた。何だっていいか。
1978年生まれ。熊本県出身。10歳の頃に初めて買ったLevi'sをきっかけにしてファッションに興味を持ち始める。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻に興味を持てず、アルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを本格的に決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆などを16年間にわたり手がける。2021年、22年間勤めたビームスを退社。2023年フリーランスとして独立、企画室「NEJI」の主宰として執筆や商品企画、スタイリング/ディレクション、コピーライティングなど多岐にわたる活動を続けている。同年、自身によるブランド「DEAD KENNEDYS CLOTHING」を始動。また、クラウドファンディングで展開するファッションプロジェクト「27」ではコンセプトブックのライティングを担当し、森山大道やサラ・ムーンら世界的アーティストの作品にテキストを加えている。
「オーダーしたからこそ馴染んだ」と思えたもの、そんなモノが男にはある。AMVERが選んだオーダー品はどんなものなのか。
買ったけれど着ない服、いまとなっては着ない服、袖を通すことができない服……。1900年初頭にフランスで作られたリネンシャツ、Trout manのシャンブレーシャツ、貴重なポパイのTシャツなど、AMVARたちの「着られない服」。
90年代のゴムバンド Swatch、織り糸に水を弾く機能を持たせたエピックナイロンのシリーズ、ウィリス&ガイガーのブッシュポプリン製サファリジャケット……AMVARたちの雨の日のスタイル
80年代リバイバルのアルマーニのスーツ、春の曇天にはぴったりな“グレージュ”、そしてデニム。AMVERたちが手にした春のセットアップ。