「家着のTシャツの上にストライプのジャケットを羽織り、少し汗ばむくらいの陽気に誘われてママチャリを漕ぐ。ホントは空と海が見たかったのだけれど、海は無理だから北北西に進路を取り、荒川へ」
過去の写真と現在の自分。その間に横たわる時間が20年であれ3年であれ数時間であれ、そこには絶対的に不可逆な時の流れがあり、その中で人間は皆平等にゆっくりと死に向かっている。しかし、その恐るべき事実に対峙しながら自覚的に毎日を生きる人間はごく少ない。大概は夢の中にいるような気分で、鮮明に思い出せる出来事は重ねる年月に反比例して少なくなっていく。過去の出来事の集積が現在の自分を作り上げ、現在の自分の行動が未来を作り上げるのだとしても、その現在すらもあっという間に忘却の彼方へと過ぎ去ってしまう。高速道路を走る車の窓からフッと落としてしまったガムの包み紙。遥か後方へ吹っ飛んでいく紙切れの行方に気を取られる暇もなく、次のインターチェンジでハイウェイを降りるかどうかを判断しながら現在と咄嗟に向き合うスピード。只、それを繰り返していく。
「透明なビルの下 力強く黄色い路線」
そういえば、昔、僕はある女性から「鶴田さんの書く文章を読むと武田百合子を思い出します」と言われたことがある。たしかに、ある意味では淡々としているように思える僕の文章は、自己陶酔と観察眼との間に薄氷を挟んだような脆いシロモノなのかもしれない。勿論、こんなことをこの場で書くこと自体が厚顔無恥、僕の書き散らかしSNSと「富士日記」や「日日雑記」から放たれるおおらかな芸術性の薫りには大きな隔たりがあるのだけれど、只、人が日常を記録するという行為の根底に流れる漠然とした本能には普遍的な真実が隠されているような気にもなってくる。ヨーゼフ・ボイスの「すべての人間は芸術家である」という言葉を参照するまでもなく、すべての人間にとって「他人の行為は芸術であり、自分の行為は矮小な性(さが)である」と思う。自分自身を呪い、苦しみながら内蔵を吐き出すような気持ちで作品を産み出した太宰治やサリンジャーやランボーも、稚拙な写真や言葉で日常を飾り付ける凡人も、基本的には「人間」という枠の中でもがいている点で何一つ変わらない「純・人間」であると暫定しながら、僕は3杯目のチューハイに口を付け、いつも通りのくだらない日常に回帰し、下手な写真を撮り世迷い言を撒き散らして、今日という日をなんとか終えていく。
1978年生まれ。熊本県出身。10歳の頃に初めて買ったLevi'sをきっかけにしてファッションに興味を持ち始める。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻に興味を持てず、アルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを本格的に決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆などを16年間にわたり手がける。2021年、22年間勤めたビームスを退社。2023年フリーランスとして独立、企画室「NEJI」の主宰として執筆や商品企画、スタイリング/ディレクション、コピーライティングなど多岐にわたる活動を続けている。同年、自身によるブランド「DEAD KENNEDYS CLOTHING」を始動。また、クラウドファンディングで展開するファッションプロジェクト「27」ではコンセプトブックのライティングを担当し、森山大道やサラ・ムーンら世界的アーティストの作品にテキストを加えている。
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