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STORY

Mind the GAP

昼間から高円寺をぶらぶら歩いていたら、若い頃によく行っていた古い町中華のしょっぱいラーメンがふと食べたくなった。相変わらず味のある枯れた店内、カウンターの端に座りミニ餃子三個セット(半らーめん・ミニ餃子三個・半ライス)を「半ライスは要らないです」と言って注文した。料理が運ばれてくるのを待つ間、ビール中瓶を頼もうかと一寸迷ったが、やめておいた。手早く食事を済ませると店を出て駅前のロータリーへ歩いてみたが、ラーメンのせいで喉が渇いたのか無性にビールが飲みたくなり駅前の大将に入店、カウンターに座りホッピーセットを頼むことにした。コンビーフが入ったマカロニサラダをアテにしながら三杯ほど飲んだ後、またぶらぶらと街を歩き始める。一軒の古着屋に入り、ザッと店内を一周したところ気になるアイテムが三点ほどあった。試着はめんどくさかったので、パンツとレザーブルゾンとニットをそのままカウンターのお姉さんに渡してお会計してもらう。僕は買い物にあまり時間をかけない。 

 

その日に購入したアイテムの一つがGAPのサマーニット。80年代「Gap Clothing Co.」のオールドタグで香港製、コットン×ラミー素材。ドライな手触りの畦編みが気に入った。僕ら世代には懐かしいロールネック、ポケット位置も可愛い。サマーニットとは言え、それなりに厚みがあるのでスウェット代わりにいつでもざっくり着られそうな感じ。左胸にはナンセンスなBLESSのピンズを付けてみた。


そういえば1990年代前半には、エコロジーを意識したアースカラーのアイテムが多かった。アントニオ・ミロあたりのブランドを筆頭に、オフ白、ベージュ、ブラウン、オリーブなど、いわゆる自然界に存在するナチュラルなカラーリングと素材感で全身をまとめたルックがファッション誌を飾っていたし、アパレル業界が環境問題について真剣に考え始めたのもこの時代だったのだろうか。僕がPOLARTEC社の名前を覚えたのも、「使用済みペットボトルから作られた再生フリース」的なことを初めて聞いたのも90年代の前半だったと思う。2000年頃にはUNIQLOの大ブレイクによって国民服となったフリース素材だが、それまで(僕が中学生の頃)はひと括りに「シンチラ」と呼んでいた気がする。フリースの代表的なブランドと言えばPatagoniaは勿論のこと、GAPやBANANA REPUBLICといったファッションブランドも憧れの的だった。

僕が初めてGAPの製品を買ったのは地元の市内にある一軒のセレクトショップだった。それはブラウン×カスタード色のタートルネックTで、1992年当時の9800円という値段は中二の僕にとって十分すぎるくらい大金だった。GAP JAPAN社がまだ無く、ブランドとして日本に本格上陸していなかったその時代、14歳の少年・鶴田から見るGAPは「R/Lよりは手頃だが、R/Lよりも見かけない」「洋服屋に置いてあるお洒落なインポートブランド」という立ち位置。そのタートルネックを休みの日に着ていると、洒落た友達からは「おっ、GAP着てる!」と言われたが、洋服に興味のない友達からは「プリンみたいな配色だ」と、全く理解してもらえなかった。ファッションにかぶれた友達の中にはエビアンホルダーを首から下げている奴もいたし、僕も15~16歳ごろにはオフ白のロールネックセーターにオフ白コットンのジップアップベストを重ねたりして、なんとなくナチュラル思考ファッションを気取っていた。そんな1990年代前半の記憶が蘇ってくるGAPのサマーセーター。昔はヴィンテージでもなんでもなかったリアルタイム服が、いよいよ「オールド」と呼ばれるくらいに僕も年を取ったということだ。

 

  ファッションも二周目とあらば、当時の記憶を引きずることなく、今、自分が思うようにコーディネートするに限る。もう、アースカラーもエコ風ファッションも全然関係ない。繰り返さない。しがみつかない。思い出しても、戻らない。真似しない。GAPはすっかり当たり前のブランドになったし、ペットボトルはみんな毎日持ち歩くし、再生は当たり前だし、普通の人は「シンチラ」なんて言葉は使わない。いつだって時代は変わるし、変わり続けることだけは変わらない。

 

 高円寺「太陽」で食べたラーメンの味は相変わらずだったけど、僕の買い物のスピードは、9800円で悩んでいた中二の頃に比べて格段に上がった。自分が積み重ねてきた経験値や想像力、「別にサイズなんてなんだっていいでしょ」という自信がそうさせるのか。ピンとくれば、洋服なんて一瞬で買える。それはお金の問題ではなくて、内容の問題だと思う。大人になった分だけ進化していないと、中二の僕に合わせる顔がない。「昔はよかった」とか「いい時代だった」とか「あの頃の大人はカッコよかった」とばかり呟いている大人の中で、カッコいい人を僕は見たことがない。その頃の若者が、いま大人になって何をしているのか。自分がカッコいい大人かどうかはさておき、やっぱり僕はファッションを生業にしているのだから、昔よりも未来のことを考えていたいと思う。

 

Satoshi Tsuruta

NEJI Organizer鶴田 啓

1978年生まれ。熊本県出身。10歳の頃に初めて買ったLevi'sをきっかけにしてファッションに興味を持ち始める。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻に興味を持てず、アルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを本格的に決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆などを16年間にわたり手がける。2021年、22年間勤めたビームスを退社。2023年フリーランスとして独立、企画室「NEJI」の主宰として執筆や商品企画、スタイリング/ディレクション、コピーライティングなど多岐にわたる活動を続けている。同年、自身によるブランド「DEAD KENNEDYS CLOTHING」を始動。また、クラウドファンディングで展開するファッションプロジェクト「27」ではコンセプトブックのライティングを担当し、森山大道やサラ・ムーンら世界的アーティストの作品にテキストを加えている。