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STORY

ソフトに死んでいる


ウエスト120㎝、ワタリ幅41㎝、裾幅37㎝。

細身の女性なら二人分が収まりそうな、このバカバカしい数値はMANHOLEがcantate(カンタータ)に別注したスウェットパンツのスペック。ちなみにレングスは0-S(股下69㎝)と0-L(股下74㎝)の二種類から選ぶことができる。

 

cantateのインラインには存在しない、このバカバカしいデカさのスウェット。元ネタになったのはMANHOLEスタッフが古着屋でテキトーに買ってきたレディースのパンツ。「ニットの女王」と称された某デザイナーズブランドのもので、オリジナルはウールの変わりジャージーでぺらっとした質感、おそらくはLate70's~Early80'sのフランス製。直線的で平面的なパターンをドローコードでぎゅっと絞って穿くこの形からは、たしかに当時のSaint-Germain-des-Présあたりでワイドな裾を風になびかせながら颯爽と歩くカッコいいパリジェンヌの姿がなんとなくイメージできる。ウエスト寸がデカい割に股上が浅いためか、このシルエットからは80’s的マッチョイズムよりも70’s的グラマラスの香りがする。この「メンズが穿いてもバカバカしいくらいワイドなレディースのパンツ」をベースに、マニアック生地の鬼として知られる、cantateのデザイナー・松島氏に渾身のスウェット素材を乗せて特別に作ってもらった。

 

吊り編み機でゆっくりと編み立てられたこの生地はコットンをたっぷりと贅沢に使っているのでかなり肉厚であるが、ゴワゴワ感は皆無。むしろもっちりとした感触。横使いのヘビーウェイトな生地はリバースウィーブの男っぽさを連想させるけど、裏糸パイルには無撚糸を使用している為、肌触りは実にソフト&スムース。僕は買ってすぐに洗濯機へ放り込みタンブラー乾燥にかけたので写真のような適当にヤレた感じが出ているが、伸縮性や柔らかさはまったく損なわれておらず、むしろ新品時よりも風合いは良くなっている気がする。ド迫力の肉厚スウェットと繊細な着心地。このパンツからは心地好い二面性が感じられる。

 

 この日のコーディネートは英国ビスポークのツイードジャケットにCorgiのマルチストライプなリブニット、NAMACHEKOのフェイクファーベスト。シューズはSimon Fournierのハイヒールブーツ。配色も素材もプロポーションも、女性的な要素と男性的な要素が複雑に入り混じっているような気もするが、そもそもファッションにおける「ジェンダーレス」なんて言葉はもはや死語に近くて、わざわざ言わなくても今や「当たり前」なんじゃないか、って。妹二人がいる長男の僕に「子供時代に姉のおさがりを無理矢理着させられた」体験はないけれど、16歳の頃に母親のタンスで見つけたエメラルドグリーンのポロシャツを黒いスリムパンツに合わせて、ピタピタのサイズ感を楽しんでいた。母親はきっと、首をかしげながら僕のことを眺めていただろう。

 

オフ白のスウェットは2~3回の着用でさっそく裾付近が薄汚れてしまったが、むしろその方がちょうどいいと思える。タフなスウェット素材、シェットランドツイード、サヴィルロウ、黒スエード、マルチボーダー、ハイヒール、浅い股上、サンジェルマンデプレ…。何が女性的で、何が男性的なのか。いまや、それぞれのディテールが含んでいた服飾的な意義はごく曖昧なものとして消え去ってしまった。だからこそ、この白いパンツは薄汚れてもいいから堂々と穿きたい。ウエストの紐は絞れるだけ絞ったらいい。120㎝もあれば、男性だろうと女性だろうとすべて飲み込めるから。

マレーネ・ディートリッヒがタキシードを颯爽と、アニー・ホールがチノパンを堂々と着こなしてから既に80年とか50年が経ち、現在の僕らはジェンダーレスファッションの何週目をひた走っているのか。「そんな二項対立、いい加減にやめよーぜ」なんて話を落ち着いてする暇もなく、じわりと忍び寄る世界的な物資不足。衣服価格の高騰。男性も女性も関係なく、現在ファッションに残されているのは只、「わたしと洋服」という二者の間にある関係性だけだと思う。そうそう、数日前から僕はものもらいで右眼を腫らしている。眼帯を付けた片目の視界だけでは、いまいち距離感がつかめない。死角から来た人に思わず右肩がぶつかる。どっちが先なのかって、終わらないポジショントーク。男性も女性もない。他人を指さして笑う前に、両眼で自分の足元を見てみろって。ソフトに死んでいる。


Satoshi Tsuruta

NEJI Organizer鶴田 啓

1978年生まれ。熊本県出身。10歳の頃に初めて買ったLevi'sをきっかけにしてファッションに興味を持ち始める。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻に興味を持てず、アルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを本格的に決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆などを16年間にわたり手がける。2021年、22年間勤めたビームスを退社。2023年フリーランスとして独立、企画室「NEJI」の主宰として執筆や商品企画、スタイリング/ディレクション、コピーライティングなど多岐にわたる活動を続けている。同年、自身によるブランド「DEAD KENNEDYS CLOTHING」を始動。また、クラウドファンディングで展開するファッションプロジェクト「27」ではコンセプトブックのライティングを担当し、森山大道やサラ・ムーンら世界的アーティストの作品にテキストを加えている。