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STORY

まっすぐな曲線

6年ほど前に、六本木の21_21 DESIGN SIGHTへ「建築家 フランク・ゲーリー展 “I Have an Idea”」を観に行った。

冒頭にある本人のマニフェストは「まず、アイデアが浮かぶ」という文句から始まっていた。その内容を要約すると「前衛を追い求めて作り続けても莫大な費用がかかる上に自分自身はすぐに飽きてしまうし、本当に前衛的なものを作り上げた時には、誰も理解していないにもかかわらず(神様のいたずらか)いつの間にか皆が賞賛し始め、いずれ他の誰かがそのアイデアを盗んで持っていこうとする」という内容だった。「要約しすぎだろ」という感じもするが、その全文はまだ21_21 DESIGN SIGHTのホームページ内に残っているので、興味がある方は読んでみてほしい。ちなみに、このマニフェストは「一度グシャグシャに丸められた後に再び広げられた紙」に書いて会場入り口に貼り出してあった。

2021年、前職を辞するにあたり「記念に椅子でも購入しようかな」と思った僕は、ずっと前から造形そのものが好きだったフランク・ゲーリーの「Wiggle Side Chair(ウィグルサイドチェア)を選んだ。1970年にいち早くエコ素材としての段ボールに注目したフランク・ゲーリーが考案した「Easy Edge’s(イージー・エッジズ)」というシリーズのひとつで、その名の通りくねくね(Wiggle)とした独創的なフォルムが衝撃的な段ボール製のイージーチェアだ。椅子、というか、もうほとんど彫刻でしかない。


安価なエコ素材として段ボールを選んだはずなのに、椅子としての強度を増すために見えない所へスチールロッドやウッドで補強を加えながら試行錯誤した結果、とても段ボール製とは言えない値段でしかリリースできなくなってしまったことにゲーリー本人も落ち込んだという。落ち込みすぎて落ち込みすぎて「イージー・エッジズ」シリーズの販売そのものを取りやめてしまったらしい。(※1986年にヴィトラ社より復刻され、現在では販売されている)

このエピソードだけ聞くと「なんじゃそりゃ?まるで本末転倒じゃん」と、突っ込みを入れたくなるような出自のこの椅子だが、だからこそ異常に美しいと僕には思える。だって、意味ないんだよ。

 デザインという行為の大半は本来、社会の役に立つべきものとしてあるはずなのだろうけど、このフランク・ゲーリー、ほっといたら三日三晩は飯も食わずに砂場で遊び続けられるタイプというか、思いついたらやらずにはおれないというか、実際に先述のマニフェストの後半にはこうも書いてある。
「やりたいのは、新しいアイデアを生むことだけ。たった一人で新しい模型をつくり続けたい」

そうそう、6年前のこの日、青山のEspace Louis Vuitton Tokyoでもゲーリーの展示を同時開催していたので、僕は六本木からタクシーで表参道へはしごした。六本木の会場と同じように、ここにも彼がこしらえたおびただしい量の模型(写真上)が横たわっていた。傾く夕日に照らされながら佇むその姿からは、なんとなく無邪気さと悲しさが透けて見えた。創造、破壊、創造、破壊、創造。

ゲーリーは、友人である三宅一生にこうも語ったという。「直感を信じるんだ。一貫性を伴い進化し続けることはHumanityと繋がっていて、誰にも真似できない、非常にパーソナルなことだよ」と。

そう、建築のみならずファッションにも同じことが言えると思う。産業そのものには社会的な責任や意義が求められることが大前提であるが、そもそも個人単位でのファッションとはパーソナルなものである。自分自身の中で、他人に対しての意味とか意義とかを求めすぎると途端に窮屈になる。場合によって他人の目は気にした方がいいが、それに振り回されるほどの大事でもない。直感を信じ、一貫性を伴い進化し続けること。頼まれもしないのに年がら年中ネクタイをつけている僕にとって、フランク・ゲーリーのWiggle Side Chairは「Humanityの彫刻」であり「例えそれがなんの役にも立たないとしても大丈夫だよ」というシンボルである。勿論、ゲーリー本人からすると「無駄に高価な段ボール椅子」は意図しない結果だったとしても、僕が感じたこと自体は決して覆らない。リビングに鎮座するこの「可笑しな形をした椅子」を見るたびに、僕は少しだけ勇気づけられるのだ。

Satoshi Tsuruta

NEJI Organizer鶴田 啓

1978年生まれ。熊本県出身。10歳の頃に初めて買ったLevi'sをきっかけにしてファッションに興味を持ち始める。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻に興味を持てず、アルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを本格的に決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆などを16年間にわたり手がける。2021年、22年間勤めたビームスを退社。2023年フリーランスとして独立、企画室「NEJI」の主宰として執筆や商品企画、スタイリング/ディレクション、コピーライティングなど多岐にわたる活動を続けている。同年、自身によるブランド「DEAD KENNEDYS CLOTHING」を始動。また、クラウドファンディングで展開するファッションプロジェクト「27」ではコンセプトブックのライティングを担当し、森山大道やサラ・ムーンら世界的アーティストの作品にテキストを加えている。