パリ在住のフォトグラファー、飯塚ヒデミ君から直近のパリ、モノクロームのヴィデオレターが届きました。
2020.10.21 | DESIGN & ART | 飯塚 ヒデミ
高田賢三さんへのオマージュ・2020年10月|PARIS JOURNAL Vol. 001
文・映像=飯塚ヒデミ 選曲=松浦俊夫
フォトグラファーの飯塚ヒデミさんと、DJ/選曲家で音楽プロデューサーの松浦俊夫さんによる映像と音楽でつづるパリ逍遥。その愛すべき街は、いまも祝祭の毎日のなかにあるのだろうか。
モノクロームなパリ
シテ島の先端を横切る2つの短い橋はポン ヌフ。2つでひとつの橋と考えられています。 建設されて300年以上もたつ、パリに現存する最古の橋。セーヌ川を眺めながらサン=ルイ島、サン=ジェルマン デ プレ界隈へ。敬愛する高田賢三さんを想いウジェーヌ・ドラクロワの壁画があるサン=シュルピス教会……リュクサンブール公園……ピカソやマルセル・デュシャン、マン・レイらが愛したモンパルナス界隈へと足を延ばす。モンパルナス墓地の白大理石で出来た若い女性像や、雨に濡れた歩道の緑のベンチ。日ごろ気にならないものも、時には感動や悲しみを与える事もあるでしょう。
高田賢三さんがこよなく愛したパリの日常を、モノクローム映像でお伝えします。
音楽=Requiem, Op. 48 ... Pie Jesu / Gabriel FAURE
──パリは10月5日から新型コロナウイルス感染の最大警戒地域となっていましたが、15日、マクロン大統領は「さらなる感染拡大を防ぐため、パリ首都圏など複数の都市部で午後9時から午前6時まで外出を原則禁止とし、飲食店や映画館を閉鎖する。17日から発効し、最低4週間は継続予定」と発表しました。
松浦俊夫
1967年生まれ。DJ/選曲家/音楽プロデューサーとして1990年代より東京を拠点に世界で活躍を続けてきた。InterFM897「TOKYO MOON」(毎週日曜17:00)、Worldwide FM「WW TOKYO」(第1、3月曜20:00) 好評オンエア中。
http://www.toshiomatsuura.com
飯塚 ヒデミ
1967年生まれ。TRACK Labo代表。1988年渡仏。海外で活躍するアーティストやクリエーターのプロデュースを行う。2004年、フォトギャラリー『T.A.F』をパリに開業。現在、写真専門誌『TRACK JOURNAL』の編集長をつとめるかたわら、写真家としても活動中。
http://www.hidemi-iizuka.com
1966年湘南・鵠沼生まれ。県立鎌倉高校卒業後、文化服装学院アパレルデザイン科入学。3年間ファッションの基礎を学ぶ。88年、卒業と同時にフランスへ遊学。パリとニースで古着と骨董、最新モードの試着に明け暮れる。今思えばこの91年までの3年間の体験がその後の人生を決定づけた。気の向くままに自分を知る人もほぼいない環境の中で趣味の世界に没頭できた事は大きかった。帰国後、南仏カルカッソンヌに本社のあるデニム、カジュアルウェアメーカーの企画として5年間活動。ヨーロッパでは日本製デニムの評価が高く、このジャンルであれば世界と互角に戦える事を痛感した。そこでデザイナーの職を辞して岡山の最新鋭の設備を持つデニム工場に就職。そこで3年間リアルな物作りを学ぶ。ここで古着全般の造詣に工場目線がプラスされた。岡山時代の後半は営業となって幾多のブランドのデニム企画生産に携わった。中でも97年ジルサンダーからの依頼でデニムを作り高い評価を得た。そして98年、満を持して自己のブランド「Slowgun & Co(スロウガン) / http://slowgun.jp 」をスタート。代官山の6畳4畳半のアパートから始まった。懐かしくて新しいを基本コンセプトに映画、音楽等のサブカルチャーとファッションをミックスした着心地の良いカジュアルウェアを提案し続け、現在は恵比寿に事務所を兼ね備えた直営店White*Slowgunがある。趣味は旅と食と買い物。
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