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いま、着たいデニム。LEVIS ビングクロスビージャケットと ボクへのおばあちゃんの気持ち。

「マナブはお金がかかる子だから時がきたら渡してあげて・・・」とボクが海外をふらついていた時期に母はおばあちゃんから通帳と印鑑を預かっていたそうだ。おばあちゃんの世話は姉や母が何から何まで対応していたのだが、おばあちゃんの来客時のネタ話はもっぱらパリに留学している孫の事であり、その孫は果たして人様に自慢出来る物をどれだけ身に付けて日本に戻って来たかは甚だ疑問ではあるが、エッフェル塔に沈む夕日と南仏の柔らかい光線だけは誰よりも心に刻み付けて持ち帰ったようだった。帰国後、その孫は縁あって南仏に本社のあったデニムブランドの日本支社に企画として働く場を頂いた。90年代中頃と言えば、日本はヴィンテージデニムブームの真っ只中であり、フランス本社も当時、日本人が体系づけてまとめていたヴィンテージデニムの知識を求めていて、それなりにボクも重宝されていたのだ。そして数年後、同級生だったかみさんと結婚することとなった。普段から自分の事しか考えていないと噂の孫は、母からおばあちゃんの気持ちを預かるとその足で行きつけの古着屋へ向かい、写真のデニムジャケットとおばあちゃんの尊い気持ちをあっさりと交換してしまった。自分の花むこ衣装の為にだ・・・。では、そんなボクの花むこ衣装、ビングクロスビーJKに関して軽く触れておこう。映画の撮影中にL社のデニム上下でホテルに帰ったB・クロスビーはその様な服装で当ホテルへの入館は出来ませんとドアマンに言われ追い返されてしまう。後日、その無礼を知った全米ホテル協会の理事長はL社のデニムで出来たタキシードに『このJKを着て来た者は最高のホテルより最高の祝福を受けるであろう』と内側にメッセージの入った革ラベルを添え、お詫びの気持ちとともにB・クロスビーに贈ったそうだ。90年代当時のうわさ話では製造数40着であった。それを着てボクは結婚式に臨んだ訳だ。そして25年経った今、アメリカL社の方より新たな情報を得た。このB・クロスビーの一件を使ってL社は50年代販売促進キャンペーンに打って出たらしく、その時に全米の太い卸し先にディスプレイ用として配布したのがこのJKで、当時の台帳からすると130着製造が妥当らしい。なるほど、なるほど。結局、生前のおばあちゃんにはあのお金でこのデニムJKを買った事は言えませんでした。なんであれほどまでに高額な古着を、当時25歳の孫が何の躊躇もなく買ってしまえたのか未だに自分でも解りません。まあ、結婚式の場を借りた、『自分はデニムの世界で生きて行く!』的な宣言だったんでしょうか? でもよくよく考えると凄い事だと思うんです。目の前にある1着のデニム地で出来たタキシードには全米ホテル協会の謝罪の気持ちと、おばあちゃんの孫を思う気持ちと、その孫のヴィンテージデニムと向き合う気持ちがこもって存在している訳です。気持ちのバトンが65年間に渡って引き継がれているんです。この先、このレアピースがどういう運命を辿るかうかがい知る事はできませんが、熱い気持ちがリレーしている事だけは確かです。