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大人にこそ似合うポロシャツ。ポロの産声はパンクな叫び。

実は最近、雑誌 OCEANS にてラコステのポロシャツ誕生から現在までを1P 1500ワードで書かせていただく機会がございました。
事実関係を調べるうちに、ポロシャツの定義誕生以前の1910~20年代に興味深い史実に遭遇!しかしそれにより少々疑問に感じる部分も生まれてしまいましたので今回はその辺りを掘り下げてみようと思います。まず、確認しておきたいのが1933年にラコステ綿鹿の子発表とありますが、1800年代からカットソーの服は普通に存在しておりました。このカットソーを外着化し、更にデザイン性を最初に持ち込んだのはシャネルかも知れません。ココ・シャネルは1912年北フランスのドーヴィルで初の洋装店を開きました。ポール・ポワレがすでに女性をコルセットから開放した後ではありましたが、シャネルも動きやすいトリコット素材を多用したり、大きなパッチポケットをつけたりと女性の社会進出に合わせアクティブなデザインを多く発表しました。これがザックリとした1910年代の流れです。シャネルの伝記映画の中で面白いエピソードがあります。生地店で美しいシルクを予約したポワレの反物を見るなりシャネルはその横にあった肌着や労働着向けのトリコットを指さし、私はこれで行くわ。これからの時代はこっちよ。と言いながら伸縮性のあるカットソー地を購入しました。日常着の中にスポーツ感覚をミックスする時代到来となった訳です。
ここで疑問が1つ。このシャネルのドーヴィル時代の動きからラコステ綿鹿の子まで約20年かかってるんです。ポロシャツのデザインはすでにポロ競技に於いて1920年代には完成しております。(添付のドミトリー大公の写真)。鹿の子組織自体もそこまで複雑ではないんですけどね。20年かかった理由とは?それを踏まえて2つ目の疑問。ポロ競技やテニスなどはいわゆる紳士、淑女のスポーツと言われております。カットソー生地は当時肌着用もしくは労働着用という認識からこれらのスポーツに使うのはマナー違反的な感覚があったのでしょうか?ヨーロッパで代表的な肌着の組織はスムースという編み方で割りと肌に吸い付きます。これでポロシャツを作り、コートに出るイコール、70年代の『8時だよ全員集合』に下着姿で出演して教育委員会から非難轟々だったランナウェイズのチェリーボム状態になるのでしょうか?第二次大戦前は外着と部屋着、労働着とおめかし着の線引が今より数段ハッキリしていたはずです。汗を吸うコットン製で伸縮のある素材がスポーツに適していることくらい1910年代の人々は誰だって判っていたはずです。きっと鹿の子編みがサラッと体から離れる性質をこれは肌着ではない!と判らせるのに20年かかったのではないかと考察いたします。ココ・シャネルやルネ・ラコステの様な、ちょっとパンクなクリエイターが出てこないとファッションって進まないんですね。