130フランと値札のシールが貼ってあるが記念にはがさずにおいた。
幾多の迷?勝負を生んだヴィンテージで、確かモントルイユで手に入れた。主に夏の夕方に楽しんだ記憶がある。
パリの夏至の日没はだいたい22時頃で、日本では考えられない様なダラダラと長い夕方が続く。
そんな曖昧な時間帯を使って毎年フェット・ドゥ・ラ・ミュージックという音楽祭がその夏至の日に行われ、世界中のストリートミュージシャンがパリに集結し、夜通し演奏するのだ。
気候も最高なこの時期、西日も落ち着いた頃を見計らって僕らは、カフェのいつもの席でこのギャモンに興じるのが常だった。
ゆったりとしながらも劇的に沈む夏の夕日にまみれながらゲームは続く。そしてエッフェル塔の電飾が際立ち始めた頃、ギャルソンがテーブルのろうそくに火を点してまわる。『 monsieur, fermé!』と声をかけられるまでは僕らの居場所だ。
だからこの時期ちょうどいい物はヴィンテージのバックギャモン。
僕らにとって、なにもしない、夏の休暇の象徴なのだ。
1966年湘南・鵠沼生まれ。県立鎌倉高校卒業後、文化服装学院アパレルデザイン科入学。3年間ファッションの基礎を学ぶ。88年、卒業と同時にフランスへ遊学。パリとニースで古着と骨董、最新モードの試着に明け暮れる。今思えばこの91年までの3年間の体験がその後の人生を決定づけた。気の向くままに自分を知る人もほぼいない環境の中で趣味の世界に没頭できた事は大きかった。帰国後、南仏カルカッソンヌに本社のあるデニム、カジュアルウェアメーカーの企画として5年間活動。ヨーロッパでは日本製デニムの評価が高く、このジャンルであれば世界と互角に戦える事を痛感した。そこでデザイナーの職を辞して岡山の最新鋭の設備を持つデニム工場に就職。そこで3年間リアルな物作りを学ぶ。ここで古着全般の造詣に工場目線がプラスされた。岡山時代の後半は営業となって幾多のブランドのデニム企画生産に携わった。中でも97年ジルサンダーからの依頼でデニムを作り高い評価を得た。そして98年、満を持して自己のブランド「Slowgun & Co(スロウガン) / http://slowgun.jp 」をスタート。代官山の6畳4畳半のアパートから始まった。懐かしくて新しいを基本コンセプトに映画、音楽等のサブカルチャーとファッションをミックスした着心地の良いカジュアルウェアを提案し続け、現在は恵比寿に事務所を兼ね備えた直営店White*Slowgunがある。趣味は旅と食と買い物。
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