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STORY

フイルム畑でくだ巻いて(番外編)アンナ・カリーナへ勝手に捧ぐ

洋服屋の稚拙な映画談義、というか自己満モノローグに陥り、好評をまったく博していない(笑)シリーズ、第六回は番外編。20世紀を代表するスタイルアイコン、アンナ・カリーナへ勝手に捧げます。

ジャン・リュック=ゴダール『はなればなれに』(1964)

早稲田松竹20:20。好きな映画ベスト10に入るので、もう幾度となく観てるんだけど(DVDも所有、でも映画館という時間には代えられない)。冬のパリ、恋と犯罪の協奏曲。これから上映です。〈2017.6.5〉

この映画の大ファンであるタランティーノが自らの製作会社名を「A Band Apart」としていることや、ハリウッドで働いていたスコット・スタンバーグが英題の「Band of Outsiders」からブランド名をとったB.Dシャツが大ブレイクしたのも有名な話。


2019年12月14日にガンの為に79歳で亡くなったフランスの女優、アンナ・カリーナはコペンハーゲン出身。10代の頃にヒッチハイク(!)でフランスへ渡り、無一文でかのカフェ・ドゥ・マゴの前に座り込んでいるところをモデルとしてスカウトされたらしい。それから間もなくELLEの撮影で訪れたスタジオで出会ったココ・シャネルによってアンナ・カリーナという芸名を付けられたという引力の強さ。その後、ゴダールとの出会いを経てヌーヴェル・ヴァーグのミューズとなったのはご存じのとおり。

絶世の美女、というわけではないが、そのコケティッシュな魅力と抜群のファッションセンスはこの映画から55年たった今も全く色褪せていない。演じている本人たちが、自分がいま何を演じているのか分からないほど脚本も何も知らされぬままに撮影され、ズタズタのシーン群を再構築した次作の(まさに気狂い!)『気狂いピエロ』(1965)では、「スーパーマーケットで自分で買ってこい」と言われて自ら調達してきたチープな衣装のセルフスタイリングで驚異的な色彩・ファッションセンスをスクリーン越しに見せつけてくるアンナ・カリーナ。それを見事に引き出してみせたゴダール。

『気狂いピエロ』の直前に離婚していた二人の破局をなぞるように、その後ゴダールは政治の季節へと突入。盟友トリュフォーとも袂を分かち、ヌーヴェル・ヴァーグは終焉へと向かっていく。その意味で『はなればなれに』は、タイトルからして既に予見的でさえあるが、そんな穿った見方をしなくても楽しめるくらい抜群に可愛いのだ、アンナが。アンナ・カリーナの訃報が届いた夜に僕が『はなればなれに』を自宅で観返しながらSNSに書き散らかしたコメント、以下。

アンナ。もしも僕が女性に生まれていたら、すべてのファッションのお手本はきっと貴女だったことでしょう。高そうな服を不自由に着るよりも、その高い身体能力(10代の頃からキャバレーでダンサーをやっていたという)を生かしてカモシカのようにしなやかにプチプライスのベーシック服を、はしゃぎ、ふざけ、わがままに、遊ぶように着こなしてみせる貴女が好きでした。いつの時代も、男は貴女のような女性に置いてけぼりにされるものです。映画を観るとき、服飾的ジェラシーを抱く相手はアーガイルのセーターやツイードのコートを着たゴロツキどもではなく、毛羽立ったニットにチェックのキルトスカートを穿いた貴女でした。ヘップバーンでもドヌーブでもなく、貴女でした。ルーブル美術館を笑いながら駆け抜けるように生きた永遠のアンナ。心からご冥福をお祈りいたします。〈2019.12.14〉
Satoshi Tsuruta

International Gallery BEAMS Staff鶴田 啓

熊本県出身。1978年生まれ。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻にまったく興味を持てず、飲食店でアルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。新宿・ビームスジャパンのデザイナーズブランドを中心に扱うメンズフロア(当時)に配属となる。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動し現在に至る。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆まで手がける。ワードローブのモットーは「ビスポークのスーツからボロボロのジーンズまで」。趣味は音楽・映画・美術鑑賞、旅行、落語、酒場放浪、料理、服。二児の父。