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STORY

マッドマックス・ダーリンミシン。

以前、こちらamvaiで新宿西口、カメラ機材の魔宮殿について書かせていただきましたが、いやー、昨日は10年に一度のシビレる体験をさせていただきました。レンズに次ぐそのアイテムとは、ミシンなのです。ボクら文化服装学院のデザイン科を出た人間は18歳の春からその傍らには常にミシンがある生活を強いられるんです。だいたい使うモデルはJUKIのシュプールシリーズと言うセミプロ向けの職業用カテゴリーに属するモデルで、そのお値段15万位、重さは11キロはあった。針さえ変えれば13オンスデニムもギリギリ縫える馬力があり総合力に長けた良いミシンだと思う。しかし今回そいつが壊れた。電源ユニットの接触不良。これはこのモデルのウイークポイントで修理の大半がここらしい。とは言え20年以上使ってのことなので、お疲れさまのリフレッシュ休暇の様な気分なのだ。ボクは修理屋さんの社長に何気なくリフレッシュ代を聞いてみた。『まぁ、やってみないと分かんないけどミシン無くなったら困るでしょ?貸し出し機あるよ、使う?』こんな親切な自動車ディーラーの様なお誘いに軽くうなずいて甘える事にした。そしてその夜届いたのが写真のミシン、知る人ぞ知る名機『SINGER 188 PROFESSIONAL』であった。総重量20キロ、さしずめミシン界のゲレンデ・ヴァーゲンといったところか?とにかくその走破性凄まじく、厚さ、固さをほぼ問題にしない。この188シリーズには3世代あり、初代は50年代にまで遡る。真っ黒い個体はザ・骨董といった面持ちで実質戦力外と思われる。次にだい2世代、これはブルーチャンピオンと名付けられ60から70年代流通したが、メンテナンスの難しさから整備士泣かせとウワサの品番群なのだが、そのファニーフェイスはさしづめBMWの2002、ルノーならゴルディーニといったところか。そして第3世代のprofessional登場と相成る訳だ。80年から90年代まで流通、工業用のカテゴリーだが、個人事業者の革職人や厚物専門の職人用で発展を遂げたらしい。驚いたのはこの188シリーズ、大半が足踏み式で使われていたそうでこの1台も背面にモーターを後付けカスタムしたもの。このタイミングベルトが極めてマッドマックスなのだ・・・。
昨日、とりあえずバレンシアカスタムデニムを1本仕上げてみた。上糸調子を整えるつまみのフィーリングがイマイチとみてジェダイに申告、その場でのライブ修理を堪能した。「ダメだ、軸がぶれてる。新品パーツ入れるから持ち帰るわ・・。」30年前のモデルに新品パーツなんてあるのか?と聞くと『作るんだよ・・・。』鋳物のボディーはほぼ悪くならないから、たいていバネ、グリス部分、軸類の歪みさえ整えれば99%使い続ける事が可能と豪語するジェダイ。 けっこうこういう調整事って起きるのかなー?と聞くと、「俺が直してやるから心配するな。」と小声で一言。この人間関係はサスティナビリティーと考えて良いのか、趣味の同好会なのか微妙な師弟関係が今、始まりそうな気配が・・・・・。
Manabu Kobayashi

Slowgun & Co President小林 学

1966年湘南・鵠沼生まれ。県立鎌倉高校卒業後、文化服装学院アパレルデザイン科入学。3年間ファッションの基礎を学ぶ。88年、卒業と同時にフランスへ遊学。パリとニースで古着と骨董、最新モードの試着に明け暮れる。今思えばこの91年までの3年間の体験がその後の人生を決定づけた。気の向くままに自分を知る人もほぼいない環境の中で趣味の世界に没頭できた事は大きかった。帰国後、南仏カルカッソンヌに本社のあるデニム、カジュアルウェアメーカーの企画として5年間活動。ヨーロッパでは日本製デニムの評価が高く、このジャンルであれば世界と互角に戦える事を痛感した。そこでデザイナーの職を辞して岡山の最新鋭の設備を持つデニム工場に就職。そこで3年間リアルな物作りを学ぶ。ここで古着全般の造詣に工場目線がプラスされた。岡山時代の後半は営業となって幾多のブランドのデニム企画生産に携わった。中でも97年ジルサンダーからの依頼でデニムを作り高い評価を得た。そして98年、満を持して自己のブランド「Slowgun & Co(スロウガン) / http://slowgun.jp 」をスタート。代官山の6畳4畳半のアパートから始まった。懐かしくて新しいを基本コンセプトに映画、音楽等のサブカルチャーとファッションをミックスした着心地の良いカジュアルウェアを提案し続け、現在は恵比寿に事務所を兼ね備えた直営店White*Slowgunがある。趣味は旅と食と買い物。