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STORY

30年ぶりのクラリオンガール

この3年の間、休みらしい休みを取らなかった俺だが、海外からのアポがキャンセルになり突然の3連休が舞い込んできた。ヴァカンスに不慣れな男の絞り出した答えは伊豆。んー、まあそれもいいだろう。しかし適当な大きさのバッグがない。そこで直行せずに鵠沼の実家に立ち寄る事にした。C55の助手席にとりあえず3日分の着替えを投げ入れイグニッションキーを回す。初夏の風は心地いい。後ろを気にしながらアクセルをふかす。遮る物はなにもなく、カーナビの予想よりはるかに早く実家に到着してしまった。
『ただいまー。』母は俺の顔を見るなり『お茶でも飲んできな。』いやいや、俺の頭の中はすでに露天風呂のイメージで一杯だった。丁重にお断りし、脱兎の如くグレゴリーを持ち出そうとしたその時、『下駄箱の上のラジオ使えるの?いらなきゃ捨てるわよ。』テレビを見たまま背中でしゃべる母。ん?これは!ラジオとは俺の10代の思い出の詰まったウォークマンであったが、 動揺の矛先は中に入りっぱなしのカセットテープにあった。30数年前のカセット。TDKクローム120分。見出しシールには手書きでデビッドボウイ・マイベスト。火にかけたピーピーケットルが情けないくすぶり音から絶叫へ変わる蒸気の様に、当時の記憶が沸き上がってきた。恐る恐る再生ボタンを押してみたが当然動かない。更に乾電池の形が妙だ。とにかく何としてでも再生したい、確かめたい事があるのだ。途方に暮れつつ下駄箱の上に目をやると親父の車のキーが目に入った。そうだ!親父の軽にはクラリオンのアレがあるじゃないか!親父は『おまえも変わってるよな。』と言いながらキーを手渡してくれた。かわりに俺は AMG のキーを差しだした。旅の目的が温泉から別の物に変わってしまったが、その変化に悪い気はしなかった。キーを回す。660cc の乾いた軽い音がひびく。俺は祈る気持ちでクラリオンに TDK を差し込んだ。
ジョワッ!不思議な音とともにアナログカウンターは回り出した。Ⅰ曲目ドライヴイン サタデー。一瞬で車内は1982年の空気になった。口元は上がり、目尻は下がる。強い日差しの中、時速50キロ平均で海沿いの134号へ。さながらデヴィッド・リンチの『ザ・ストレイト・ストーリー』の様な気分だ。30年前のマイベストテープをクラリオンで聞きながら軽で温泉を目指す、振って涌いた初夏の昼下がり。決して悪くない。車は順調に西湘バイパスへ。曲はアルバム・アラディンセインからジギー・スターダストへと進む。実はこのカセットは当時、付き合い始めた彼女へ向けたプレゼントだった。1週間かけて選曲&録音した力作だったはずが、金曜に手渡すと月曜日に返された。なぜか『本当にごめんね』の一言と共に。思えば全力を尽くして浮かばれなかった初めての恋だったかも知れない。あまりのショックにカセットをウォークマンごと押し入れにしまい込んで忘れていたものだった。デヴィッドボウイと16歳の心をのせた車は、パイパスの終点にさしかかる。今日の西日は一頻り眩しく感じる。少しの間、早川のドライブインで車を止め海が見たくなった。エンジンは切ったがテープデッキはそのまま回っている。曲はサフラゲットシティー。眼下に広がる海は金曜ロードショーのオープニングで見た光景だな、などど思い出し笑い。全てはクラリオンの音質のせいだ。キラキラと黄金に煌く水面、曲はテープの最後でもあるロックンロールスーサイド。歌うボウイもオーケストラも最後の高音域のクライマックスへ・・・すると突然『ジュボッ・・・。あっ何これ?』喋ったのは紛れも無く16歳の彼女だった。クラリオンのウーファーから30年の時を経て飛び出してきた彼女。その声を聞き間違えるはずもない。
5秒後『ゴメン!変なボタン押しちゃった・・。』30年越しの録音謝罪。そしてタララーン・ジャーン。曲も終わり恋も終わった。俺がカセットの爪さえ折っておけば、今ここの助手席には彼女が座っていたかもしれない。だが、再会は果たした。ここで。
この後味は温泉で洗い流そう。悪くない休暇だ。

Manabu Kobayashi

Slowgun & Co President小林 学

1966年湘南・鵠沼生まれ。県立鎌倉高校卒業後、文化服装学院アパレルデザイン科入学。3年間ファッションの基礎を学ぶ。88年、卒業と同時にフランスへ遊学。パリとニースで古着と骨董、最新モードの試着に明け暮れる。今思えばこの91年までの3年間の体験がその後の人生を決定づけた。気の向くままに自分を知る人もほぼいない環境の中で趣味の世界に没頭できた事は大きかった。帰国後、南仏カルカッソンヌに本社のあるデニム、カジュアルウェアメーカーの企画として5年間活動。ヨーロッパでは日本製デニムの評価が高く、このジャンルであれば世界と互角に戦える事を痛感した。そこでデザイナーの職を辞して岡山の最新鋭の設備を持つデニム工場に就職。そこで3年間リアルな物作りを学ぶ。ここで古着全般の造詣に工場目線がプラスされた。岡山時代の後半は営業となって幾多のブランドのデニム企画生産に携わった。中でも97年ジルサンダーからの依頼でデニムを作り高い評価を得た。そして98年、満を持して自己のブランド「Slowgun & Co(スロウガン) / http://slowgun.jp 」をスタート。代官山の6畳4畳半のアパートから始まった。懐かしくて新しいを基本コンセプトに映画、音楽等のサブカルチャーとファッションをミックスした着心地の良いカジュアルウェアを提案し続け、現在は恵比寿に事務所を兼ね備えた直営店White*Slowgunがある。趣味は旅と食と買い物。