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STORY

LEVIS 501 のナゼ?アメリカ人のなぜ?


ボクにとってベストな501って革タグのXX(誰もが同じかな?)なんだけど、どうして良く見えるかというと、ベースの合成インディゴの色溜まりが黒っぽくなるケースが多く、白くアタリの付いた部分とのコントラストが美しいんですよね。それと何と言っても当時使用していた縫製用の綿糸!表の飾りステッチに3種の太さ違いを使っててつや消しで。特に6番糸のレモンイエローに脱色した様は見事でネイビーインディゴ&イエロー綿糸という補色の関係がなんともいい感じに美しいんです。そんな青い幻影を追い求め、ボクは23歳の頃から今日までの30年間、ずっーとこの青いズボンに魅了されあーでもないこーでもないと試行錯誤を繰り返してきました。そして大きな大きな疑問にブチ当たったのです。ではその疑問とは・・・・。

①なぜ66後期以降、突然 生地の顔がレギュラーになってしまうのか?

*古着屋さんの口述伝承で天然インディゴから合成インディゴに変わったから・・・なんて言われていますが1920年初頭、ロープ染色法が確立されて以降、天然インディゴは量産ワークウェアの世界から完全に消えており、民族服、工芸の世界でのみ継承されております。LEVIS社製品が植物由来の天然インディゴの使用が囁かれているのは19世紀製造の物のみと思われます。
*フラットなブルーの理由として、合成インディゴに何かを配合したのかな?とも思います。バット染料と言って(硫化染料、Leeの109JYGジャンのあの染料)ロープの染色回数を減らして濃度を上げる秘策でもあみだしたのかな?とも思いますが謎です。
*織り糸の形状が突然ストレートになってしまいます。無論、当時ムラ糸なんて存在してないので(ムラ糸を開発したのは90年代の日本の紡績!)スモールe以降のあのレギュラー顔の秘密はアメリカの紡績までさかのぼる必要があります。コーンミルズは織り糸の紡績から自家でやっていたのでしょうか?突然糸形状がストレートになった理由は70年代後半、新たな紡機でも導入されたのでしょうか?

②501は80年代中頃まで耳付きを貫いたがそれはなぜか?

*ボクは20歳代の頃、通称黒カンと呼ばれる80年代製造501の赤耳デッドを2本履き潰しましたが、正直ヴィンテージ顔にはなりませんでした。糸もストレート、染めもレギュラーで、洗わないで穿いた事によるヒゲがつくのがやっとといったところ。
*耳付きのメリットは外脇にロックミシンがいらない(あたりまえか)、裁断ゴミが少ない。たぶんこの2つ以上の理由は無い。反対にデメリットとして裁断時、耳揃えといって延反(数十人分の生地を重ねて裁断すること)の時、ぴっちり両耳を揃えて生地を重ねて行くのはとてつもない労力なのだそうです。岡山のデニム裁断工の談話。
*80年代に入った頃、当然ヴィンテージデニムブームなどまだなく、501が耳に固執した心理は謎です。LeeやWranglerはとっくにw幅の生地にシフトしているのに・・・。

ボクは90年代初頭、フランス人とヴィンテージデニムを企画しておりました。その時、共通の意見としてアメリカ人は母国のデニムに対して、それがあまりに日常的な物ゆえ、ヴィンテージ感覚でそのプロダクトを再構築するなんて思いもつかないし、ビジネスにもならないと思っているに違いない。だからダラダラとレギュラーな501を作り続けているのだろう。と語り合っておりました。フランスやイタリア、そして日本のヴィンテージデニム復刻熱はハンパ無くブランドも相当出来ているのに、当のアメリカンブランド達は90年代、ヴィンテージデニムブームからは、蚊帳の外といったイメージでした。

しかしそれから約25年が経ち、今ここで解った事があります。80年代末、いわゆるバレンシア工場製の復刻501XXがスタートしておりました。ウワサでは高反応だったのは日本だけでしたので、発表から数年後、ケアラベルが織りで日本語の物がデフォルトとなりました。90年代中頃の販売価格は3万円!、リジッドのみの展開だったと記憶しております。そんなバレンシア製501が中古となって古着業界に流通しはじめているのです。恥ずかしながら30年間XXを見続けているボクですら1M離れて、製品の一部分だけ見たらヴィンテージかバレンシアか解りません。要はアメリカ人は自国の501がどのような工程を踏めば昔の顔になるか全て解っていたのでした。染めも糸形状も全て解っています。だからこのコラムの答えはLevis 本社の生産管理の方に聞けば一発クリアな案件なんです・・・・。あれだけのヴィンテージブームの最中、主役ブランドなのに、出来るのにやらない。敢えてのっぺりしたレギュラー顔の501を非効率な耳付きで80年代中頃まで作り続けたアメリカ人こそ謎中の謎です。推測するに、アメリカ人にとって501は約30ドルでで買えるものでなければならない!みたいな使命感があるのかなー、ほーら、ヴィンテージだなんだって皆がやれやれっていうからバレンシア工場で作ってみたけど全然売れないじゃん。喜んでるの日本人だけだし・・・。なんてL社からの愚痴が聞こえてきそうです。なんてね。あーあ、オチのないコラムになってしまいました・・・。
Manabu Kobayashi

Slowgun & Co President小林 学

1966年湘南・鵠沼生まれ。県立鎌倉高校卒業後、文化服装学院アパレルデザイン科入学。3年間ファッションの基礎を学ぶ。88年、卒業と同時にフランスへ遊学。パリとニースで古着と骨董、最新モードの試着に明け暮れる。今思えばこの91年までの3年間の体験がその後の人生を決定づけた。気の向くままに自分を知る人もほぼいない環境の中で趣味の世界に没頭できた事は大きかった。帰国後、南仏カルカッソンヌに本社のあるデニム、カジュアルウェアメーカーの企画として5年間活動。ヨーロッパでは日本製デニムの評価が高く、このジャンルであれば世界と互角に戦える事を痛感した。そこでデザイナーの職を辞して岡山の最新鋭の設備を持つデニム工場に就職。そこで3年間リアルな物作りを学ぶ。ここで古着全般の造詣に工場目線がプラスされた。岡山時代の後半は営業となって幾多のブランドのデニム企画生産に携わった。中でも97年ジルサンダーからの依頼でデニムを作り高い評価を得た。そして98年、満を持して自己のブランド「Slowgun & Co(スロウガン) / http://slowgun.jp 」をスタート。代官山の6畳4畳半のアパートから始まった。懐かしくて新しいを基本コンセプトに映画、音楽等のサブカルチャーとファッションをミックスした着心地の良いカジュアルウェアを提案し続け、現在は恵比寿に事務所を兼ね備えた直営店White*Slowgunがある。趣味は旅と食と買い物。