このAmvaiのボクのサムネイル画像は実は3年前、ドラマ『傷だらけの天使』のおさむとあきらのペントハウス(通称エンジェルビル)の踊り場階段で撮影した写真なのです。
これとこれです。JR代々木駅のホームからも見える、と言うか隣接するこのエンジェルビルは現状2階に中国語の本屋さんが営業しているだけで3階、4階以上は鳩の巣!になっているカオス状態な廃墟なのです。ウワサでは権利関係で取り壊すことも出来ず現在に至る奇跡のタイムスリップビル!以前のテナントの居酒屋、雀荘など昭和の看板そのまま、軍艦島とまではいきませんが、突然神隠しにでもあったかのような居抜き感ハンパない東京ど真ん中の秘境物件!!そんなエンジェルビルの取り壊しのウワサが3年前の夏にネットで広まったのをきっかけに撮影出来る友人に相談、昭和・哀愁のダンディズムな館でのAmvai用アー写大会決行と相成ったのでした・・・。
真夏、当然エアコン無し、秋冬の服、鳩の鳴き声、木漏れ日ほどの自然光・・・・最高でした。小学校の頃、スイミングゴーグルをつけて魚肉ソーセージ食べた世代です。強いようで弱く、ズルいようで優しいあの2人が使っていた階段で撮っておきたかったんですよね。無理してでもね。昭和の思い出と共にね。しかしそんなエンジェルビルより先におさむ兄貴が逝ってしまうとは・・・・。
不思議な喪失感に包まれながら今夜もリーバイスデニムをリメイクしております。 BGMは当然コレですよね、こんな夜は・・・
ルール上、動画は貼れないのでシングル盤ジャケだけでも・・・。
ディーブ平尾さんの泣き声のようなシャウトが胸に刺さるぜ、いつもより・・・。
俺たちの兄貴、平成と共に逝く・・・・ただひたすらにR.I.P
1966年湘南・鵠沼生まれ。県立鎌倉高校卒業後、文化服装学院アパレルデザイン科入学。3年間ファッションの基礎を学ぶ。88年、卒業と同時にフランスへ遊学。パリとニースで古着と骨董、最新モードの試着に明け暮れる。今思えばこの91年までの3年間の体験がその後の人生を決定づけた。気の向くままに自分を知る人もほぼいない環境の中で趣味の世界に没頭できた事は大きかった。帰国後、南仏カルカッソンヌに本社のあるデニム、カジュアルウェアメーカーの企画として5年間活動。ヨーロッパでは日本製デニムの評価が高く、このジャンルであれば世界と互角に戦える事を痛感した。そこでデザイナーの職を辞して岡山の最新鋭の設備を持つデニム工場に就職。そこで3年間リアルな物作りを学ぶ。ここで古着全般の造詣に工場目線がプラスされた。岡山時代の後半は営業となって幾多のブランドのデニム企画生産に携わった。中でも97年ジルサンダーからの依頼でデニムを作り高い評価を得た。そして98年、満を持して自己のブランド「Slowgun & Co(スロウガン) / http://slowgun.jp 」をスタート。代官山の6畳4畳半のアパートから始まった。懐かしくて新しいを基本コンセプトに映画、音楽等のサブカルチャーとファッションをミックスした着心地の良いカジュアルウェアを提案し続け、現在は恵比寿に事務所を兼ね備えた直営店White*Slowgunがある。趣味は旅と食と買い物。
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