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STORY

退屈な男

2024年9月の終わり。いつもの居酒屋のいつもの席から定点観測を行った。1階のカウンター、最も出入口に近い席に座り70㎝ほど開けられた扉の外界(池袋西口駅前)を眺めつつ、街行く人々を数え、その中からネクタイを身に付けた人をカウントする(便宜上、数えるのは男性のみ)。通行人50人のうち、ネクタイ着用者は50歳前後のサラリーマンたった1人だった。この日は曇天で涼しかったので、気温のハンデは無かったと思う。今年初物のさんま焼きを食べ、チューハイを飲んだ。

僕はネクタイが好きだ。












そもそもネクタイが日本に定着したのはいつくらいからだろうか?

ネクタイの起源は古代ローマ時代にまで遡るらしい。兵士たちの出征に合わせて、妻や恋人たちは無事を願って布を贈り、防寒とお守りの意味を込めたスカーフにした。それが一般化したのは17世紀フランスのブルボン王朝。ヴェルサイユ宮殿で警護に当たる兵士達が首に布を巻いている姿を見て気に入ったルイ14世は、御用達の職人に命じて同じようなスカーフを作らせた。宮殿にやって来る客たちは、フランス国王が首に巻いた布を見て、その真似をするようになったという。モチーフになった兵士はクロアチア出身だったため、この布は「cravat(クラバット)」と呼ばれるようになった(「cravat」とはクロアチア人を意味するフランス語)らしい。時を経て英国にも伝わった「cravat」は蝶ネクタイやアスコットタイへと進化しながら19世紀末には現在のネクタイとほぼ同じ細長い形の布が登場した。その後、アメリカに移り、首を締めるという意味で「ネクタイ=neck tie」と呼ばれるようになった。

ネクタイが日本に伝来したのは幕末。(後に幕府の通訳としても活躍する)ジョン万次郎は、14歳の時に漁に出て遭難し、通りがかったアメリカの船に助けられて、そのまま太平洋を渡る。鎖国の終焉が近づき、1851年に帰国した万次郎が降り立ったのは琉球で、薩摩藩や長崎奉行所などの取り調べを受けたが、その際の万次郎の所持品目録に書かれた「襟飾3個」とは「ネクタイ3本」を意味し、これが「ネクタイ日本伝来」の最も古い証しとなっているらしい。この時の「ネクタイ」とは現在でいう「蝶ネクタイ」のような形状だった。






少なくとも1970年代後半生まれの僕にとって、ネクタイは「大人の男の証」だった。サラリーマンはもとより、例えば授業参観にやってくる父親たちは職業にかかわらずジャケットを着てネクタイを締めていた気がする。うちの父親は体育教師だったので仕事でネクタイを付けることは殆んど無かったが、それでも僕は小学校5年生くらいのときに「父の日のプレゼント」としてデパートの1000円均一コーナーで選んだワイン色のネクタイを贈った記憶がある。ネクタイピンを贈った年もあった。子供目線から見ても、当時はやはり圧倒的に「大人の男」=「ネクタイ」だったのだ。漫画の中では波平もマスオもネクタイをしている。テレビドラマの中では刑事たちも皆、スーツ+ネクタイ姿で捜査に当たっていたし、だからこそ松田優作のジーパン姿は自由の象徴として輝いていた。更に遡れば、ネクタイが「大人の男の証」だったからこそ、ムッシュ・サンローランによる「ル・スモーキング」ルックや、マレーネ・ディートリッヒが着こなす「シルクハットに蝶ネクタイ」という出で立ちは強烈なカウンターとして成立し得た。






僕は別に欧米のクラシックスタイルや昭和のノスタルジーを盾に、ネクタイ復権キャンペーンを繰り広げているわけではない。むしろ2024年現在、女性が気軽に身に付けてもクールだという意味でネクタイはより自由になった。ただ、僕は暇なんだと思う。池袋で昼酒を飲みながら、街行く人々のネクタイ姿を数えている。そして、この打率の低さからして「日本野鳥の会」の方がよほど忙しいだろうと想像する。「銀座だったら、新橋だったら、六本木だったら、この数はどう変化するのだろう?」などと、夢想に耽っている。もはや、脱・社会的ですらある。そういえば、数か月前。中目黒「Vase」で平井さんからフランス製のアスコットタイとクロスタイを買った。買った後、まだ箱すら開けず自宅に放置している。また、いつだったか、BEAMS fのバイヤーをやっている後輩と話していたときのこと。「僕、今でも強烈に覚えていることがあって…むかし鶴田さんに『洋服屋なんだから、ネクタイなんてガムみたいに買えばいいんだよ』と言われたんです」だそうだ。やはり、僕にとってのネクタイは、単なる暇つぶしらしい。

ネクタイの面白いところは長さ140~150㎝、幅7㎝~10㎝という小さな面積の中に、色・柄・素材感・シェイプ・製法といった要素、つまりファッションに関するすべてが詰まっているところ。場合によってはグラフィック的/絵画的要素も含まれたりして、まぁ、ジャケットやシャツだと流石にこの絵柄は着れんよな、というものでも身に付けて遊ぶことができる。加えて「機能性が全くない」というところも潔い。一昔前まではネクタイに付与されていた「社会性という機能」さえも剥ぎ取られ、ネクタイよ、お前はどこへ行く?とりあえず、差し当たり、僕の首元に居なさいな。ともに生きよう。人生、暇だから。


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【ねじ店2024 欠伸指南 -秋のあくび-】
本イベントではNEJI主宰・鶴田がこれまでに蒐集してきたネクタイ150本の中から選りすぐりの約50本を、松(9000円)竹(6000円)梅(4000円)三つのコースに分けて展示販売いたします。また、会場ではDEAD KENNEDYS CLOTHINGの基本型となるシャツ【DK01 Gentlemen’s Agreement Destruction(紳士協定破壊)】のカスタムオーダーを承ります。選べる生地は潔くThomas Mason社の白ブロード(Jerney 100/2×100/2 Cotton100%)一択ですが、ネック寸・着丈・裄丈を自在に設定可能です。首が細いけど腕は長い、肩幅に合わせるとネックが余る、いつも袖丈を3.0㎝以上詰めている…など、既製品のシャツでは中々体型をカバーできない方にお勧めです。今週末、お暇でしたら是非どうぞ。古典落語の「欠伸指南(あくびしなん)」になぞらえて、昼酒を一杯ひっかけながら大いなる暇つぶしをお楽しみください。それは大いなる趣味時間、まるで有閑人の舟遊び。

MODEL: KOTA
PHOTOGRAPHY: Shoya Kitano
STYLING/DIRECTION: NEJI

<会期>2024年10月5日(土)・10月6日(日)

<場所>東京都目黒区下目黒2-20-28 いちご目黒ビル2F「BAR DUNBAR」(目黒駅徒歩5分)
<営業時間>14時~18時(18時以降は通常のバータイム)
※ワンドリンク制※ノンアルコールドリンクもご用意しています※エコバッグをご持参ください

Satoshi Tsuruta

NEJI Organizer鶴田 啓

1978年生まれ。熊本県出身。10歳の頃に初めて買ったLevi'sをきっかけにしてファッションに興味を持ち始める。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻に興味を持てず、アルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを本格的に決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆などを16年間にわたり手がける。2021年、22年間勤めたビームスを退社。2023年フリーランスとして独立、企画室「NEJI」の主宰として執筆や商品企画、スタイリング/ディレクション、コピーライティングなど多岐にわたる活動を続けている。同年、自身によるブランド「DEAD KENNEDYS CLOTHING」を始動。また、クラウドファンディングで展開するファッションプロジェクト「27」ではコンセプトブックのライティングを担当し、森山大道やサラ・ムーンら世界的アーティストの作品にテキストを加えている。