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STORY

スクール・オブ・ファッション


企画室「NEJI」の主宰という肩書きが僕についてからしばらく経つ。思えば学生時代にアルバイトとして洋服屋のドアをノックしてから45歳の現在に至るまで、四半世紀にわたり「週五でお店に立って、いらっしゃいませ」を続けてきたわけだから、そう考えると少しゾッとするような感覚もある。勿論、それに対して後悔などあるはずもない。むしろ続けてきた自分をちょっとは褒めてあげたいような気にもなってくる。その一方で、「洋服の販売員」以外にも興味があること、やってみたいことは今もまだまだ沢山あるわけで。いろいろと考えた結果「ファッションにまつわるあれこれを雑多に手掛ける人」=企画室「NEJI」の主宰として独立することにした。現在も外苑前のセレクトショップ・MANHOLEで週一の販売員を続けてはいるが、それ以外の時間はまさしく「雑多」。執筆したり、ルック撮影のスタイリング/ディレクションを手掛けたり、この秋には自身のブランドも立ち上げる予定だ。つまり、はたから見ると(実際によく聞かれる)「あの人、いま何をやっているの?」状態。答えは単純、何でもやっている。

そして、雑多に何でもやっている僕の仕事の中のひとつが「商品企画」だ。商品企画そのものはBEAMS時代からInternational Gallery BEAMSのオリジナルを中心に手がけてきたわけだけれど、現在携わっているのは「他社(他者)のための商品企画」ということになる。


僕に声をかけてくれたのはBEAMS時代の同僚・大島拓身氏。僕の半年後にBEAMSを退社し、現在は高円寺で「Bon Vieux」という古着店を営んでいる。買い付けから販売まで(もちろん経営も)「ひとりでよく頑張っているよなぁ」と感心していたけれど、彼は彼で「だれかと一緒に仕事をする」という楽しみをどこかで渇望していたらしい。BEAMS f、つまりクラシック畑の彼と在職中の大半をInternational Gallery BEAMSに捧げてきた僕とは一緒に仕事をしたことがほとんどない。誘い合わせて飲みに行ったことは数回あった、という程度。だからこそ良かったのだろう。彼は彼の中にないものを求めていた。MANHOLEの河上もそうだけれど、やっぱり優秀な人は「自分とは違う存在」をきっちりと選ぶ。逆を言えば、似た者同士の馴れ合いの中からは何も生まれないということを知っているのだ。

ともかく、半年以上前から僕は「Bon Vieux」のために幾つかの商品を企画し始めた。その第一弾がコーデュロイ素材のスクールマフラー(写真上)。2023年9月2日発売のこの商品の為に、せっかくだからスタイリングを組んでルックを作ってみようと思った。




テリー・エリス氏は、知る人ぞ知る元・BEAMSのレジェンドバイヤー。あの堀切さんも、1980年代当時にInternational Gallery BEAMSのバイイングを手掛けていたエリスさんに憧れていたことを隠さずに話してくれる。勿論、僕も多大な影響を受けた。現在は高円寺にて自身のショップ「MOGI」を運営している。




山下厚子さんも元はBEAMSスタッフ。僕とは2000年の同期入社だった。とはいえ、彼女、BEAMS以前には伝説の「プロペラ」で働いていたキャリア(Mojito・山下氏とも一緒に働いていたらしい)を持っているので、入社当初から僕よりも遥かに「洋服屋のお姉さん」という感じだった。一時期、International Gallery BEAMSで僕と一緒に働いていた時期には、たまに喧嘩もした。けれど、古着からアメカジからハイファッションからサヴィルローまで、あらゆるジャンルの洋服(しかもメンズ/ウイメンズ問わず)に袖を通してきた生粋の洋服バカであることには間違いない。お互いに歳を取り、最近ではなぜか僕にとても懐いてくれている(笑)。現在彼女自身が手がけているブランドの悩みについて僕がたまに相談に乗ってあげると、子犬のように喜んでいる姿が年上とは思えず可愛らしい。




現在もBEAMSで販売員を続けている伊藤昌輝氏。僕が入社したころ、伊藤さんはBEAMS銀座店に勤務していたけれど、その当時から既に今みたいなルックスの人だった。つまり、50代の現在に至るまでキャラクターがまったく変わっていないということ。伊藤さんは自分が購入した高級重衣料をお直ししまくって自分に合わせていくので「洋服代よりもお直し代の方が高い人」として全社的に有名だった。昔、赤峰幸生氏に「袖丈が5㎜短すぎる」と言われて凹んでいる伊藤さんの姿を見て、僕は思わず笑ってしまったが、本人はいつだって真剣そのものだったと思う。


そんな同窓会のようなメンバーをキャスティングして撮った、このルック。皆さん、とてもよくお似合いだと思う。思えばスクールは、色々な人が半ば強制的に集う場所。勿論、偏差値や専門性である程度振るいにかけられる部分があるとはいえ、そのキャラクターは皆バラバラだ。つまり、隣にいる他者の存在。

三者三様のスタイリング、僕は今回それぞれにイメージだけを伝え、モデル三人の私物をほとんどそのまま生かして撮ることにした。現場で少しアレンジはしたけれど、生身の彼らが写真にはそのまま写っていると思う。ワークやミリタリーと並び、メンズファッションの根幹を成す要素のひとつ「スクール」は、やはり誰にでも似合うユニフォーム。作業着も軍服も制服も、無作為に集められた人々が与えられた共通のアイテム。しかし、共通項があるからこそ際立つ個性もある。

本来は粗野なウール素材で作られるスクールマフラーを柔らかなコーデュロイ素材にアレンジしたこの一品。まるでスカーフのようにコーディネートに華を添えてくれるだろう。ファッションは勉強して知識を取り込むためのものではない。身につけ、楽しみ、そして生きるだけだ。僕にとっても彼らにとっても、それこそがスクール・オブ・ファッション。入学案内は無いけれど、ご興味ある方は是非、9月2日に「Bon Vieux」のドアをノックしてみて下さい。


Satoshi Tsuruta

NEJI Organizer鶴田 啓

1978年生まれ。熊本県出身。10歳の頃に初めて買ったLevi'sをきっかけにしてファッションに興味を持ち始める。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻に興味を持てず、アルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを本格的に決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆などを16年間にわたり手がける。2021年、22年間勤めたビームスを退社。2023年フリーランスとして独立、企画室「NEJI」の主宰として執筆や商品企画、スタイリング/ディレクション、コピーライティングなど多岐にわたる活動を続けている。同年、自身によるブランド「DEAD KENNEDYS CLOTHING」を始動。また、クラウドファンディングで展開するファッションプロジェクト「27」ではコンセプトブックのライティングを担当し、森山大道やサラ・ムーンら世界的アーティストの作品にテキストを加えている。