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STORY

口数の少ないスーツ



「最近、天皇について考えていて」「はい」「天皇というワードを聞いて、明確な姿かたちや性質を思い浮かべる人って少ないじゃないですか?」「そうですね、シンボル(象徴)という概念の受け取り方が人それぞれですよね」「はい、だから天皇という存在は、実体そのものから離れて人々の心に宿った時点で、それぞれの形になるんじゃないかなって」「たしかに。あとはその対象になる存在との距離感や発する口数の多さによるものもありそうですよね」

これはイデオロギーや宗教の話ではなく、ファッションの話だ。

International Gallery BEAMSがCLASSのデザイナー・堀切道之氏とタッグを組んでリリースしたテーラードブランド「TOO SOON TO KNOW」(beams.co.jp)。昨秋11月のお披露目初日には堀切氏自ら店頭に立ち接客に当たるという肝入りのプロジェクト。ちょうどその日、ぶらりと古巣のInternational Gallery BEAMS(以下IG)に立ち寄った僕は堀切さんに軽く挨拶を済ませると各アイテムをチェックし、気になる一着を手に取って試着室へ。その2分後にはフロントダーツも胸ポケットも無いミニマルなスーツを購入していた。堀切さんは笑っていた。「TOO SOON TO KNOW」のラインナップは、長いファッション遍歴の中で様々な国籍/ジャンル/スタイル/カルチャーを経由してきたであろう同氏の雑食性が見事に結実・具現化されたコレクションだった。それから半年が経ち、「TOO SOON TO KNOW」(以下TSTK)の2度目のコレクションが店頭に並んだからとIGの後輩に誘われて、僕は再び店舗を訪れた。これもまた非常に良い内容だった。特に玉虫色のブラウンスーツが気に入った。そして、別日。ショウルームに伺う機会があった僕は、堀切さんに向かってテーラードアイテムやファッションについていま思うことをとりとめもなく話し始めた。冒頭の件は、(結果的に)1時間半にも及んでしまったその座談の一部。

「ファッションって、人それぞれですよね」という僕の投げかけに対して堀切さんは「天皇」というワードを交えながら答えてくれた。それは「天皇という存在があることで、みんながその存在について考え、感じ、そしてそれぞれの天皇像を思い浮かべる、つまりきっかけ。そのあとは自由な形があっていいと思うんです」という内容。続けて「僕が洋服を作り続けることで、みんながファッションについて考えるきっかけを提示できたらいいな、と」とも言った。「でも、そういう意味では20年以上前に青山にあったDUPEは勿論、15年ほど前に堀切さんが渋谷・宇田川町に作ったショップも僕にとってはかなりの『きっかけ』となるものでした」「あぁ、そうですね。あれは当時僕が好きだったものをすべて詰め込んだお店だったので」「TUNEの古本やチープな古着に交じってMARK POWELLのテーラードアイテムや(当時、堀切さんが企画し始めた)RENOMAのカプセルコレクションなんかも並んでいて。あぁ、やっぱりこれでいいんだって思いましたよ、20代だった僕は。(当時そのお店で働いていた現・SADEのデザイナー)影山さんもそうだったんじゃないですかね。僕はそもそも、ヨーロッパのデザイナーズブランドもサヴィルローのスーツもアメリカ西海岸のレジェンダリーアイテムも、すべてが並列に並んだカオティックなお店(=IG)で長年働いていたので、かなりの飽き性&雑食趣味がすでに加速していたとは思いますが…」「それは僕も同じです。雑食だし、飽き性。たしかに僕にとっての(ファッションの)入り口はアメリカだったかもしれませんが、結局、移り気なので次はロンドン、その次はパリ…という風に、次々と別のもの全く違うものにハマっていきました。そういうコントラストが好きなのかもしれません」「あぁ、コントラスト。分かります。僕もコントラストが強いものに惹かれてしまいます。ストリートスナップ(TUNE)の隣にサヴィルローのテーラー、というのもそうですけど。そもそもイギリスって王室があってパンクがある、コントラスト強めの国ですもんね。僕は結局、ロンドンファッションが好きで、コントラスト強めのスタイリングが好きなんだと思います。そういえば、今期のTSTKのコレクションには新型でスキンズスーツと呼ばれるものがありましたけど…」「あぁ、あれ、ふざけてますよね(笑)」「はい(笑)、チェンジポケットが複数付いているジャケットもそうですが、あのワイドなパンツが組下なのにスキンズって(笑)」「鶴田さんは僕のことを昔から知ってくれているのでお分かりだと思いますが、答えが特定されるのって好きじゃないんです」「ですよね(笑)。ちなみに、TSTKのブランド名って…」「あ、あれは大昔に僕の先輩が『アメリカにカッコいいお店があるよ』と教えてくれて、その店の名前が『TOO SOON TO KNOW』だったんです。響きもカッコいいし、いつか使いたいワードだなと思って長年温めていました。ロイ・オービンソンの曲名だってことや、言葉そのものの意味は後付けみたいなもので」「あぁ、そうなんですね。一見すると『お前にはまだ早い』という挑発的な言葉にも思えますが」「そうそう、君にはスーツとかまだ早いんじゃない?的な。怖い店員さんに叱られたりして。でもそれがきっかけや反発となって若い人が一生懸命研究したり調べ始めたり、というものアリだし…」「そもそも『ファッションをあきらめるにはまだ早いんじゃない?』というポジティブな意味にも取れますしね」「まさに!ほんと、言葉って面白いですよね」「結局、物事を説明・補足するために機能するはずの言葉でさえも、受け手によって感じ方が違うという」「はい、その通りですね。だから、僕はTSTKのコレクションを自由に受け取ってほしいし、そのためにもイメージが固定されるようなことはあまり言いたくない」「なるほど。ちなみに先シーズンのルックは堀切さんが自らスタイリングを手がけられていましたが…」「はい、実はスタイリングをしっかりやるのは初めてだったんです。だから、もう、ほんとに大変で(笑)」「そうなんですね、とてもカッコよかったです。でも、あの隙間だらけ、余白たっぷりのスタイリング(素肌にジャケットを着せていたり、レギンスやネックウォーマーを使ってコーディネートを解体したような内容)を見た僕はかえって『この余白をギチギチに埋めて着てみるものいいな』と思ってしまい…。タイドアップしたりHENRY MAXWELLとかTRICKER’Sみたいな英国靴を合わせて(TSTKのスーツを逆に崩して?)着ていました」「いいですね、とても鶴田さんらしいです(笑)。ともかく、僕はテーラードアイテムも大好きなので、堅苦しいとか肩パッドが入っているとか、ルールがありそうだからとか、そういう理由で若い人が触れないままでいるアイテムがあるのはすごく勿体ないと思うんです」「僕もそう思います」「だから、やっぱりきっかけになりたいんですかね」「僕らにしてみれば、十分堀切さんからきっかけを頂いてきましたし、それこそIGのスタッフも(MANHOLEの)河上や中台も。でもみんな出来上がりが違うというか、洋服の着方がみんなバラバラ(笑)」「はい、やっぱりその方が楽しいですよね」

と、ここではすべてを書ききれないほどに話は広がり、影響を受けたスタイリストの話やCLASSのルックの話、ニューテーラーの話、英国生地の話…あとは何を話したっけ?と、記憶の糸を手繰り寄せながらいまここに書き記している。お忙しい方なので軽い雑談にお付き合い頂くだけのつもりが、たっぷりと映画一本分に近いほどのお時間を割かせてしまった。ともかく、いつも物腰柔らかく低姿勢な堀切さんだが、ファッションの話となると誰よりも真っすぐな言葉を投げかけてくる。ここで再び、冒頭の話。「その対象になる存在との距離感や発する口数の多さによるものもありそうですよね」と返した僕の(言葉に出さなかった)真意は「もはや堀切さん自身が(ある意味で神格化された)象徴のような存在になっているんじゃないでしょうか?」という仮説でもあった。たしかに堀切さんはメディアに顔を出さないし、多くを語らない。語らないことでファッションの答えの数を無限に近づけようと願う稀有な存在でもある。それは、あるいはマルタン・マルジェラか。いや。

ついさっき、数時間前に僕の前で目を輝かせながらファッションの話をしていた人物はシンボルでも神でもない。数十年も昔から夢中でファッションし続けている堀切道之というただのクレイジーな人間である。一言で説明することが不可能なほど不可解なディテールの連続を取り込んだTSTKのスーツは、逆説的に寡黙だと言える。すぐに辿り着ける「正解」については何一つ語ろうとしない、頑として口を割らない。しかし、堀切さんはシンプルにひと言だけ言い放った。「自分が本当に楽しいと思うことをやり続ければ、そこに嘘はないのかなと思っています」と。口先だけの商品説明や核心を避けたムードメイクよりも遥かに雄弁なのは、ファッションに対する真摯な姿勢、飽くなき好奇心。だからこそ僕はそこに在るかもどうかも分からぬシンボルを崇めるよりも先に、目の前で夢中になっている人間から洋服を買いたいと思う。それは信仰ではなく、信頼。僕らはもっとファッションに血肉を通わせる必要がある。


Satoshi Tsuruta

NEJI Organizer鶴田 啓

1978年生まれ。熊本県出身。10歳の頃に初めて買ったLevi'sをきっかけにしてファッションに興味を持ち始める。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻に興味を持てず、アルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを本格的に決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆などを16年間にわたり手がける。2021年、22年間勤めたビームスを退社。2023年フリーランスとして独立、企画室「NEJI」の主宰として執筆や商品企画、スタイリング/ディレクション、コピーライティングなど多岐にわたる活動を続けている。同年、自身によるブランド「DEAD KENNEDYS CLOTHING」を始動。また、クラウドファンディングで展開するファッションプロジェクト「27」ではコンセプトブックのライティングを担当し、森山大道やサラ・ムーンら世界的アーティストの作品にテキストを加えている。