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STORY

ファッション状態のハイウェイ


先日、生まれて初めて手術をした。「下肢静脈瘤」の症状は、足に血液がたまることによって「ふくらはぎの血管が膨らんでくる、むくみやすい」など、調理師・美容師・販売員といった立ちっぱなしで仕事をする人に起こりやすいらしい。近所の総合病院。ブルーグレー色をしたオペ室の天井。一時間半ほどの手術で、それは無事に終わった。そして、今回の本題はそれではない。

主治医には「術後1ヵ月間は弾性ストッキングを必ず着用してください」と言われた。「だんせいすとっきんぐ?女性用ではなく?」「いえ、男性ではなく弾性、これを着用して締めつけることにより下肢の静脈還流を改善するのです。当院でも販売していますが、購入されますか?」「いえ、自分で探してみます」

帰宅後に検索してみたところ、黒やベージュ色をした膝下ストッキングがずらりとヒットした。そもそも医療用なのだから、デザイン性が低いのは仕方がない。とはいえ、購買意欲が沸き上がってこない。加えて、弾性ストッキングは膝からつま先までを覆うものがほとんどで、これでは靴下二重履きの状態になる。レザーシューズが履きづらいだろう。足首から下は要らない。

 


せっかくの初ストッキング。根気良く調べてみたところ、見つかった。某・スポーツブランドから出ているソレの説明には「バイオギアサポーター(ふくらはぎ用)」と書いてある。膝から足首までを覆うもので、段階着圧。これだ。しかも、色バリ多数。弾性ストッキングなんて、本来は人に見せるものではないのだろうけれど、どうせ買うならプロダクトとして好みのものがいい。9色展開の中から赤を選び、到着したものをさっそく履いてみた。睡眠時以外は常時装着する約束なので、家の中で靴下を履きたくない派の僕にとって足首より下はやはり要らなかった。自宅にいるときも煩わしくない。フィット感も申し分なし。よかったよかった。と同時に「こいつをファッション目線で活用できないか」という気にもなってきた。なんか、見た目が可愛いのだ。




本来ならばズボンの中に隠れるアイテムだが、せっかくの可愛いストッキング。クロップド丈のスウェットパンツに合わせてみた。足元に突然のヴィヴィッドカラー。レギンスを穿いているみたいで、可愛いと思う。「どうせならば、よりスキニーな感じで」とローファーは素足履き。というかこんなに見た目が可愛いくなるのなら、もはや弾性ストッキングではなく本格的にレギンスを買ってみようかな、なんて気にもなってきた。なってきたところで、思った。「俺はいったい何をしているんだ?」



治療のために履いているんでしょ?それ。割り切って、ちゃんとやりなよ。フツーに。

そこで、思い出した。前職時代の先輩で、10年ほど前に腕を骨折した人がいた。通常だと白い三角巾を使って腕を首からぶら下げるところ、その先輩は代わりにバティックプリントの布を使っていた。見た瞬間に、アホだな、と思った。まぁ、三角巾もただの布切れなので機能的には同じなんでしょうけど、ちゃんとやりなよ。フツーに。当時、先輩に対してそう思ったことを、いま思い出した。同じ穴のムジナ。すべての行為を意地でもファッションに帰結させようとすんなよ。しかしね、これは職業病なので仕方がないことなのかもしれない。思考回路のインターチェンジ、どの行き先にも「ファッション」と書いてある感じ。

もうひとつ、思い出したエピソードがある。これも前職時代の先輩の話(人からの伝え聞きだが…)。当時のインターナショナルギャラリー ビームスでも抜群にセンスが良くて洒落ていて有名だったAさん。ある時、Aさんは具合を悪くして倒れ、意識不明の状態になったらしい。店長のSさん他のメンバーは慌てて病院に駆け付けた。皆が心配そうに見守る中、ふっとAさんの意識が戻った。「おい!A!大丈夫か!心配したんだぞ、お前!」と枕元へ駆け寄る店長のSさん、他。ベッドに寝転んだ状態のAさんの視界の、ちょうど同じ高さにS店長の腰位置があったのだろう。朦朧とした意識、ぼんやりとした視界の中でAさんが初めて発した言葉は「Sさん、なんすか…そのダサいベルト…」だったらしい。いや、アホだな。「すみません、ご心配おかけしました」だろ、そこは。という。

転んでもただでは起きぬ。禍(わざわい)を転じて福と為す、もとい、服と為す。手術の二日後、傷口抜糸の翌日、10月の最終日に仕事へ向かう僕の足首は、とても肌寒かった。それなのに「色違いで青いストッキングも欲しいな」と思っている自分がいたりする。


Satoshi Tsuruta

NEJI Organizer鶴田 啓

1978年生まれ。熊本県出身。10歳の頃に初めて買ったLevi'sをきっかけにしてファッションに興味を持ち始める。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻に興味を持てず、アルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを本格的に決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆などを16年間にわたり手がける。2021年、22年間勤めたビームスを退社。2023年フリーランスとして独立、企画室「NEJI」の主宰として執筆や商品企画、スタイリング/ディレクション、コピーライティングなど多岐にわたる活動を続けている。同年、自身によるブランド「DEAD KENNEDYS CLOTHING」を始動。また、クラウドファンディングで展開するファッションプロジェクト「27」ではコンセプトブックのライティングを担当し、森山大道やサラ・ムーンら世界的アーティストの作品にテキストを加えている。