やっぱ、半袖でしょ。
いくら僕がジャケット好きだからと言って、命に代えてまでも無理矢理に上着を羽織るつもりはない。フツーに、Tシャツが一番だろ。ただ、それなりに年齢を重ねて40代ともなると、リバー・フェニックス=ピュアネスとジョルジオ・アルマーニ=世界制覇顔のちょうど間くらいに位置しちゃって、ビミョーにTシャツの一丁着が恥ずかしくなる。圧倒的な若さと圧倒的な勝ち組のハザマで、帯に短し襷に長し。世の中には平気でTシャツ一丁着の中年がわんさかと居るけれど、それは他人の勝手、ここはやはり自分の美意識の高さを呪わねばならぬ。ならぬ。どれだけ「鶴田さんなら白無地Tをサラッと着ても問題なく似合いますよ~」と後輩から軽口を叩かれようとも、足りん。信用せん。やはり、わしには出来ん。という意地を張る。実際に嘘だと思う。
てことで、とりあえずTシャツを鹿の子素材にしてみる。ネックリブのライン、胸ポケット付き。ポロシャツや半袖ニットに一歩接近。やや安心感を得る、NICENESSのシルク×コットンTは数年前のもの。
素材感プラスのついでにボトムスはツイードを選んでみた。10年以上前に買ったパンツ専業メーカーのイタリア製、ウール100%のホームスパンツイード。極端だろ、いや。裾幅30cm、ヒラヒラのワイドシルエットだから、意外と暑くない。すぐ乾く。思い込め、自分。
もっともっと単純に涼しい盛夏向きコーディネートが世の中に存在することは勿論知っているけれど、やるかやらないかは洋服屋の線引き。それにしても夏は暑い、という当たり前の現象に対してひとりでこの大騒ぎぶりは何だ。
って、そうなんだけど、元来、堕落しやすい自分自身という人間を前にして、ブレーキを踏める限界地点より更に下まで堕ちていけば、もうそれはなし崩し的に全てを臨終させてしまうような気がするから、なんとなく抗ってみる。世の中見た目が9割、と言われるのだとしたら、洋服屋は見た目が10割。残念ながらそこからしか始まらないモンだと自分自身に念押しをして、これから先の夏もギリギリで生き延びることを所信表明しつつ、半袖を更にカットオフしたフレンチスリーブみたいなCLASSのシャツにパールやスカーフを合わせる姿をイメージしながら夏もあくまでエレガントに、涼しさだけを追求しないように感性を働かせる。壮大すぎてもはや馬鹿馬鹿しいのだけれど、たまに存在する洋服屋志望の熱心な若者に対して、大いなる勘違いや夢想を多少なりとも継承し、はた迷惑な持論を展開するためにしか当コラムの存在する意義はないと前向きに思いつつ、日中の気温が36度を超えた東京の熱帯夜に扇風機の前で筆を置くこととするダンディズムかぶれの阿呆。
1978年生まれ。熊本県出身。10歳の頃に初めて買ったLevi'sをきっかけにしてファッションに興味を持ち始める。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻に興味を持てず、アルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを本格的に決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆などを16年間にわたり手がける。2021年、22年間勤めたビームスを退社。2023年フリーランスとして独立、企画室「NEJI」の主宰として執筆や商品企画、スタイリング/ディレクション、コピーライティングなど多岐にわたる活動を続けている。同年、自身によるブランド「DEAD KENNEDYS CLOTHING」を始動。また、クラウドファンディングで展開するファッションプロジェクト「27」ではコンセプトブックのライティングを担当し、森山大道やサラ・ムーンら世界的アーティストの作品にテキストを加えている。
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