
友人が昨年からクラウドファンディングで始めたプロジェクト「27」。第二弾のアイテムはチノパン。アメリカの象徴である元・軍用ズボンを日本のクラフトマンシップに乗せて提案する一本だ。生産を手掛けるのは長崎県の最西端、松浦市に自社工場を構えるパンツ専業メーカー。元々は炭鉱で栄えたこの町も時代の流れとともにエネルギー源が変わりゆく中で、産業の転換を図らざるを得なくなる。1970年代に松浦市企業誘致第一号として迎えられたのがこのメーカー。71年前に大阪で操業した自社工場を51年前に松浦市へ移築したらしい。中には親子3代(!)にわたって勤務している従業員もいるそうで、地域に密着した企業として地元雇用100%を操業時より維持している。今回のプロジェクトのキモは「ドレスパンツ工場にチノパンを作ってもらう」という点。このメーカーは71年間、ドレスパンツ一筋なのだ。

マシンメイドをメインに据えた工場であるが、50年前に機械化によるドレスパンツ専門工場を目指した会社は他にはなかったらしく、専任のメンテナンス社員がドレスパンツ縫製に適した機械を独自に開発・進化させたものを多用(メーカーから直接購入した機械をそのまま利用しているものはごく僅か)しているという。平面の生地をプレス工程で立体的に変化させ、縫いで整えながら丸い形のパンツを作ることについては日本のマシンメイドにおいてのパイオニア的な工場だといえる。そもそもは軍需の大量生産品であった平べったいカジュアルパンツ(=チノパン)を、体にフィットするテーラードに変換することはこの工場にとっても特別な取り組みらしい。

工場内の様子。天井近くから出ている水蒸気は工場内の室温を一定に保つことで生地への負担を軽減したり、冬場の静電気による作業負荷を避けるための設備。また、工場内の床は桜の板を使用している。希少性があり高価な材質であるため現在ではほとんど使われることはないが、強度と同時に跳ね返り(反発)があるためミシンを踏み込んだ時に適度なクッション性を発揮するという。縫製が安定し、工員の体にも優しい床材だ(コンクリートでは堅すぎて膝などを痛めやすいらしい)。昭和のぬくもりと現代の技術が共存する背景を、写真からでも十分感じ取ることができる。

そして、素材。このパンツの生地は強撚素材の産地として古くから知られている浜松で生産されており、撚糸から染色までが一貫して行われている。今回の生地は、パンツに使用できる中肉素材にガス焼き強撚を入れたもの。糸を強撚することによってシャリ味のある風合い、反発感を出している。通常、ガスボイル糸は細番手(100/2などシャツ生地向き)で撚ることが多いのだが、それぞれの工程は使用糸のキロ単価で工賃が決まる為、中肉素材を強撚(コストアップ)して、ガス焼き(コストアップ)をすると倍々の単価となってしまう。結果として、単価が高すぎるため市場にはあまり出回ってこない。ガスボイルとは、通常の糸を①2本に撚る②ガスバーナーで撚った糸の毛羽を1本1本焼く③糸の撚りをきつくすると、そのままでは糸が絡まってしまうので熱をかけてから糸を機械にセットして使用する、という非常に手間がかかる作業。しかし、このメンドクサイ工程を踏んで産み出された素材には抜群の反撥感とスムーズな滑らかさが同居しており、コットンらしからぬドレープを感じることができる。結果として43カーキをベースにしたワイドなシルエットに最適な“落ち感”が表現されることになった。


パンツの最重要箇所であるヒップラインは二重環縫いという特殊ミシンで仕上げてあり、伸度があり優美なバックスタイルを実現している。また、補正範囲を設けた尻割り仕様にすることで体型が変わってもウエストを直しながら(最大4㎝は広げることができる。勿論、小さくすることも)長く愛用することができるという、ミリタリータイプのチノパンとしては異例の作りになっている。クラウドファンディングにより、望まれた数だけしか生産されないこのチノパンは、10年後も変わらぬ友人のように穿く人と付き合ってくれるだろう。

線路沿いを歩きながら、死体を探す四人組の少年。そして夜がやってきて、あたりは暗くなり、闇に包まれながら、たとえ月明かりだけが頼りだったとしても、僕は恐れない。
ずっと僕のそばに居てくれよ。ダーリン、ダーリン。結局、探していたのは死体なんかじゃなくて、君のことだったのかもしれない。一緒に焚き火をしたあの夜からずっと、線路がまだ続いているみたいだよね、今も。この先も。なんだろね、この感じ。
※ファッションプロジェクト「27」についてはコチラ














