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クリスマスの贈りものクリスマスの津波。

人生で一番映画を見た時期は高校生の頃かもしれません。当時はもちろんVHSで、ありとあらゆるジャンルの名画をむさぼる様に見た気がします。やはり一番記憶にあるのがアメリカンニューシネマで「ディアハンター」、「イージーライダー」、「イチゴ白書」あたりがど真ん中に刺さってました。それとなぜか純愛物で「ちいさな恋のメロディー」、「リトルロマンス」とかね。それなりにキュンキュンでした。思春期でしたし・・。それから10年、20年と月日は流れちょうど40歳の頃、自分の中の異変に気付いていたんです。昔は号泣していた物に反応しないんです。泣きのツボがズレたのか、感情がフラットに向かっている気がするんです。
 Amvaiのクリスマスでなぜこんな話をするかというと、まずボクの人生で家族と過ごしたクリスマスを除くと、何故かこの時期、自らを孤独の中に追い込んでしまう癖があるようなんです。理由がなんだかなんて自分でも分かりません。だから特定の彼女と映画&ディナーみたいな展開もクリスマスに限ってはあまり記憶がありません。ヨーロッパで1人で過ごすクリスマスは結構グッと来ますよ。自分でそうしてるくせに・・・。今でも目に焼き付いているのがサンジェルマン・デ・プレ裏辺りの小さな通りを歩くと向かい合う建物の2階どうしを電飾でつないで流れ星にしたり、雪の結晶にしたり。シャンゼリゼの喧噪とは全く違う、静の世界なんです。気温はマイナスを差していて。じゃあ部屋にいればいいじゃないか!となりますがそれもなんだか嫌で。この頃は夕方4時には日没でして、歩き疲れるまで、だた、なんとなく、なんとなく。身に滲みていた訳ですよね。最高純度の孤独とそれを盛りあげるシチュエーションが・・・。
 でもこれって人生の中でなかなか体験出来ないレアな感情だと思うんです。冒頭の思春期に見た映画で泣けないなんて軽く吹っ飛ぶジェットコースターみたいな動転寸前の感覚なんです。実はこのエネルギーって画家とか彫刻家のようなファインアート系クリエイターには絶対に必要な感情の起伏だと思うんです。フラットな感情からは作品は生まれません。晩年、ピカソやルノワールなど、多くの画家が南仏で人生を閉じています。なぜか?住んでみて判りました。コートダジュールは1日に4回色が変わると言われていて、朝焼け、夕焼けに合わせる様に喜怒哀楽がめちゃくちゃ高まってしまうんです。人間をラテン化させるパワーは南仏にはあるんですよね。
 だから孤独なクリスマスに感じた深呼吸しても取れない胸の痛みは自分にとって、きっと何かの足しにはなってるのかなって思います。きっとこの年になってもロックフェラーのツリーを見たり、デプレ教会の裏路地を歩いてみると、ボクにはきっとあの全てをひっくり返す津波が後ろから襲いかかってくる気がします。この津波こそ神様が作り手に向けた大きな大きなクリスマス・プレゼントだと思うんです。「何、知ったつもりになってるんだ!」ってな小言付きでね。もらってもキッツいんだけどね。『自分の心を動かす』だったり『何かを強く感じ続ける事』って『大人になる』の対義語だと思うんです。だからボクは五感が敏感になるクリスマスに変な行動を取ってきたのかもしれない。