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STORY

MANHOLEの河上くんとCLASSの堀切さん

「鶴田さん、堀切さんのアレ見に行きました?」「そうそう、このあと見に行くつもりなんだよ、アレ」
夏の終わりの或る日。南青山に新規開店した河上くんの店へオープン祝いに来ていた僕はそう返事した。「河上くん」とは6~7年前までビームスで働いていた僕より10歳以上年下の男子。うちを退社した後、某有名セレクトショップで店長兼アシスタントバイヤーとして活躍後、このたび晴れて独立・出店したのだ。


彼との出会いは10年近く前。インターナショナルギャラリー ビームスで僕が担当したFRANK LEDERのイベントだった。過去のアーカイブやスタッフ(ほぼ僕の)私物を100点以上集めて展示・販売していたその会場へ入社して間もない彼は現れた。「新宿店の河上です」と、年齢の割に礼儀正しく挨拶してきた彼は熱心に洋服を見ながら色々と試着や質問をした。その後も、休みの日に「このレザージャケット、先輩から譲ってもらったんですが、どう合わせたら良いか分からなくて…」などと、ことあるごとに僕を訪ねてきた。
退社したあとも、よく店に遊びに(服を見に)来ていた。そんなある日、彼から連絡があった。「ふたりで飲みに行ってもらえませんか?」顔は知っているし、後輩なんだけど、いきなりサシ飲みとは何事かとすこし構えつつ「いつでもいいよ」と、いざ行ってみたら、ほぼ悩み相談だった(笑)。
現状への不満を20代の若者ならではの青い表現でぶつけてきたが、モヤモヤした会話の終盤、僕の「あー、色々まぁ分かるけど…で、河上は結局どうしたいの?」という質問に対する「僕は洋服屋を、店を出したいです」と、この答えだけは早かった。

それから3年後。彼は、店を出した。

河上くんの店でひとしきりダラダラお喋りしたあと、僕は「堀切さんのアレ」に向かった。青山の某セレクトショップを会場に堀切さんの私物、過去に買い集めたものを300点以上集めて展示・販売するというイベントだった。「堀切さん」とは勿論、日本が世界に誇る超ド級のマニアックブランド・CLASSのデザイナーであり、過去にも数多くのショップやリブランディングのディレクションを手がけてきた堀切道之氏のこと。
展示の内容は圧巻の一言。Tommy Nutterから、Edward Sexton、Stephen Sprouse、初期Vivien Westwood、Mr. Fisher、renoma、(トムフォード期の)GUCCI、GRANNY TAKES A TRIP、MR FREEDOM、ALKASURA、CLACTON&FRINTONなどなど、アメリカ西海岸からサヴィルロウ、河原温の作品集まで、「え?これ、一人で集めたの?」という、氏の雑食的高感度っぷりが遺憾無く発揮された超絶変態の世界。堀切さんは「あっ、どうも~ご無沙汰してます~」「1月のパリ以来ですね~」と、いつもどおり、至って物腰柔らかく出迎えてくれた。






「例えば名古屋の個店さん(CLASSの卸し先)でお店に立つと、名古屋のお客さんってエネルギーがあって…。でも最近、東京の若い子達って、どうなんだろう?(ファッションに対して)冷めてたりするのかな~なんて思っていたんですけど…」
「どうなんでしょうね、東京は人も多いけど、店も多いからいっぱいいるけど分散してるのでは…?」
「やっぱり、そうなんですかね?久しぶりに東京のお店に立ってみたら、熱心な若い子たちが沢山来てくれて、安心しました!」
「いま、河上んとこ寄ってきたんですけど」
「あ、河上さん!そっか、後輩ですね!彼、凄いですね、若いエネルギー!本当に素晴らしい!」なんて、目を輝かせる堀切さんと会話しながら再確認した。それは繋げていくこと。




堀切さんのこの展示には「若い人にこそ見てほしい、昔はこんな素晴らしいモノ作りがあったこと、時代のこと知ってほしいし、共有したい。特に将来の服作りに関わる専門学校生の方に」というメッセージが込められている。つまり集団的記憶。堀切さん、僕、河上くん。それぞれ年齢は一回りずつも違うし生きた時代も違うのに、いまだに取り憑かれたかのようにやっているファッションって、いったい何だろう???河上くんのお店「MANHOLE」には、以下のようなコンセプトが添えられている。

どこにでもあるもの。
全てにつながるもの。
だけど、中がどうなっているか誰にもわからないもの。

これは、なかなか良い言葉だと思う。ファッションには答えがないし、分かっちゃったらいまだに夢中で続けていることはないだろう。つまり「何だかわかんないけど、かっこよくて楽しいよ」って気持ちを次世代に繋げていくからこそ、只の「Fashion=流行」が時代を越えて「ファッション」であり続けられるのかもしれない、なんて思いながら帰り道にいつもの店でグラスのチューハイをグイッと飲み干した。9月、夏はもうすっかり終わりだったけど、その日はまるで真夏のように熱かったんだ。

Satoshi Tsuruta

NEJI Organizer鶴田 啓

1978年生まれ。熊本県出身。10歳の頃に初めて買ったLevi'sをきっかけにしてファッションに興味を持ち始める。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻に興味を持てず、アルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを本格的に決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆などを16年間にわたり手がける。2021年、22年間勤めたビームスを退社。2023年フリーランスとして独立、企画室「NEJI」の主宰として執筆や商品企画、スタイリング/ディレクション、コピーライティングなど多岐にわたる活動を続けている。同年、自身によるブランド「DEAD KENNEDYS CLOTHING」を始動。また、クラウドファンディングで展開するファッションプロジェクト「27」ではコンセプトブックのライティングを担当し、森山大道やサラ・ムーンら世界的アーティストの作品にテキストを加えている。