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STORY

「ゴッホの内側。」 Van Gogh Museum amsterdam体験記。

たとえば、人間にとって最も幸せな瞬間とは、新たな生命の誕生に接する時や、志を共にする友人と大いなる夢を語り合っている時などであろう。反対に、生きていて最も辛い瞬間とは惜別の時だと思うのだが、更にキツいのは自分と言う存在が社会から必要とされていない事を思い知らされた時だろう。言葉を変えれば、あてにされない、期待されない、分かってもらえない、理解されない、だからそんな人間が生み出す作品など売れない・・・・。突然だが、ゴッホはそんな厳しい社会環境との関わりの中で創作活動を続け、油彩では約900枚程の作品を生み出したと言われている。諸説あるが、生前売れたのは1枚とも数枚とも言われている。ボクも物作りをするはしくれとして考える。誰からも褒められず、売れない服を30年間作り続けるモチベーションが自分にあるのか?と・・。ない、絶対にない。到底耐えられるはずがない・・・。うーん・・・。
今までにゴッホのオリジナル絵画とは、オルセー2階のゴッホ部屋で何度か触れた事がある。あの場所は人類の至宝の巣窟であるオルセーの中でも群を抜いたエネルギー量だったと記憶している。たとえ彼の特殊な人生を知らずとも、絵画から迫り来る迫力に、見る者は圧倒されてしまうのだ・・・。
後年 炎の画家と呼ばれたゴッホ。炎には燃やし続ける燃料が必要ですよね?だとすると、ゴッホは何の燃料を燃やして生きていたのか?作品もさることながら人間ゴッホの内面に興味の尽きないボクは、この1点を見つけるだけの為にアムステルダムへと向かったのです・・・。
ボクは美術評論家ではないので、絵に関しての所見は、ここでは差し控えさせていただくのだが、このゴッホ美術館の何がスゴいって、アレです。ヘッドフォンとタブレットを駆使した音声ガイダンスのエンタメ性のクオリティーの高さ、ソコなんです。ゴッホは超筆まめで、パトロンである弟のテオやら、友人のゴーギャンなどに絵1作品に対してキャプションの手紙をせっせと書いていたので美術館キュレーターは仮説を立てる事無く、ゴッホのまんまを展示出来るんです。そして音声の解説に憶測や推測の2文字は無く、すべてゴッホの言葉、独白の形で絵の解説が語られる説得力が何とも気持ち良い!そしてこのコラムの冒頭で書いた何をエネルギーにしてゴッホは描き続けたのか?その問いにもしっかり答えてくれています。結論から申しますと、彼のエネルギー源、落ちないテンションの要因とは全て絵画新表現への「実験」が機縁している、と美術館は解説を印象付けています。音声ガイダンスによる彼の独白は大抵この実験の2文字に帰結します。ゴッホは作品を売るつもりすらなかったのかも知れない。全面的にゴッホの生活を支えていた弟の画商テオには申し訳ないけど・・・。ゴッホとは、無垢の心を持つ少年が誰も見た事が無い絵筆の使い方や色の塗り方、光の捕まえ方を日々ハイテンションで研究し、ようやく何かが見つかるとせっせと手紙にしたためる幸せな画家だったんですね。全てはあくまで実験なので、非難されようが、理解されなかろうが、これは実験なのでゴールではない、とでも思っていたのかもしれない。
とはいえ、少なからずの欲、憧れの類も持ち合わせており、ゴーギャンに対しキミの様にスマートに生きられたら・・といった手紙の内容から、画家としての成功者のイメージと成功を地で行くゴーギャンを重ね合わせている。ただ、それより何より新表現への実験を最優先した人生だった、とこういう訳なんです・・・。

このコラム冒頭に述べた人間の2つの幸せに対し、実は呼応する作品があるんです。この以下の2枚こそが最も幸せな気持ちで絵筆を取った作品ともいわれ、ゴッホにまつわるお土産、マーチャンダイジングアイテムでは必須となっています。幸せのおすそ分け、といったところでしょうか???
まずはこちら、『花咲くアーモンドの木の枝』
弟テオに初めて出来た子の誕生をことのほか喜んだゴッホ。その頃、彼は精神病院入院中ではあったが、お祝いの為に病院の庭に咲いたアーモンドの花を描きそれを贈った。アーモンドの花は散り易く時期も短いので、この花の絵を贈ると決めたゴッホは描くタイミングをワクワクしながら見計らっていたそうだ。その位、新しい命の誕生、自分ではなし得なかった、自分の家系の遺伝子が後世に引き継がれる事を喜んでいたのです。この誕生した男の子にテオ夫妻はゴッホと同じ名のフィンセントと名付ける事を決め、手紙でゴッホに報告した。
そして誕生した男の子フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ、このアーモンドの花を贈られた主こそ、ここ、ゴッホ美術館の設立者なのである。これがこの名作「花咲くアーモンドの木の枝」のバックストーリーなのです・・・。

さて、もう1枚はあまりに有名なこちら『ヒマワリ』
志を共にする芸術家の村を作る、と言う夢を友と語り合い、アルルにその拠点を作るべく一足先に部屋を借りたゴッホ。その友が暮らす部屋があまりに殺風景だったのでその壁を飾るべく描かれた絵、それがこの「ヒマワリ」なのである。
その友とは画家ゴーギャン。芸術観の不一致からゴッホの芸術家村構想は終焉を迎えてしまい、例の耳切り事件へと発展する・・・。
それにしても、友達が来るからと寂しい部屋を明るくする為に黄色いヒマワリを描くゴッホってなんて純粋なんだろうとボクは思います。

その他、ゴッホ美術館には彼の時代ごとの代表作とその背景、メンタルの状態、「実験」の解析等、名探偵コナンにならずとも、作品を読み解くスリルを充分味わえる仕掛けが満載。そしていつの間にか確実にゴッホの精神世界に引き込まれて行くんです・・・。
日本での美術鑑賞ですと、ちょっと残念なんですが、代表作1枚をリース、美術搬送し、それをめがけて3時間の行列なんて状況ですよね。そんな思いまでして、並んで一瞬見るだけだったら、ボクなら自宅でゆっくりカラーコピーを眺めるでしょう。大切なのは、絵は感情のある人間が描いているという原点から、その画家が塗込めたのは何なのか?製作中、喜怒哀楽のどこにギアが入っていたのか??どの画家も新表現を模索している中で、成功した手法、ポイントはどこなのか?そんな事柄を重厚な美術館という空間の中で、洗練されたエンターテイメント性溢れる情報をベースに自分の目で感じ取りたいんです。以前、ボクの美術鑑賞なんて、知ったかぶりして、ささっと見終えて、足を運んだ事だけを自慢する様なものでした。でも昨今のオーディオガイドの進化&展示の創意工夫は目覚ましく、今後確実に見るだけの鑑賞から知る鑑賞へと世界的に大きな流れが来ている気がします。今回訪れたオランダの美術館広場界隈、その中でもゴッホ美術館は正に作品と対峙させていただける最高、且つ最新のアートスポットでした・・・。

幸せの結晶「花咲くアーモンドの木の枝」を描いた5ヶ月後、ゴッホはピストルで自らを打ち抜きます。その半年後、ゴッホの良き理解者、弟のテオも病死するのです。死因は兄を失った悲しみとぜんそくの持病とも言われています。そんな下知識を元にアーモンドの絵の前に立つと、色々な物がイマジネーションとなって頭の中で渦を巻き始め何か不思議なものが見えてくる気がします。アーモンドの絵にはあのゴッホ狂気の渦はないけどね・・・・。





Manabu Kobayashi

Slowgun & Co President小林 学

1966年湘南・鵠沼生まれ。県立鎌倉高校卒業後、文化服装学院アパレルデザイン科入学。3年間ファッションの基礎を学ぶ。88年、卒業と同時にフランスへ遊学。パリとニースで古着と骨董、最新モードの試着に明け暮れる。今思えばこの91年までの3年間の体験がその後の人生を決定づけた。気の向くままに自分を知る人もほぼいない環境の中で趣味の世界に没頭できた事は大きかった。帰国後、南仏カルカッソンヌに本社のあるデニム、カジュアルウェアメーカーの企画として5年間活動。ヨーロッパでは日本製デニムの評価が高く、このジャンルであれば世界と互角に戦える事を痛感した。そこでデザイナーの職を辞して岡山の最新鋭の設備を持つデニム工場に就職。そこで3年間リアルな物作りを学ぶ。ここで古着全般の造詣に工場目線がプラスされた。岡山時代の後半は営業となって幾多のブランドのデニム企画生産に携わった。中でも97年ジルサンダーからの依頼でデニムを作り高い評価を得た。そして98年、満を持して自己のブランド「Slowgun & Co(スロウガン) / http://slowgun.jp 」をスタート。代官山の6畳4畳半のアパートから始まった。懐かしくて新しいを基本コンセプトに映画、音楽等のサブカルチャーとファッションをミックスした着心地の良いカジュアルウェアを提案し続け、現在は恵比寿に事務所を兼ね備えた直営店White*Slowgunがある。趣味は旅と食と買い物。