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STORY

変身(月と濡れ犬)

最近は雨ばかり降っていたような気がする。
傘は持っていたり、いなかったり。
体は濡れたり、濡れなかったり。

その晩、最寄り駅前で雨に降られながら見上げた街灯の光が無性に美しく思えたのでスマホで何気なく撮ってみたら、存在しないはずの光の輪が写り込んでいた。雨粒はクレーターさながら、その輪っかはまるで月のような姿をしていた。

 傘を持っていなかった僕は存在しない月に背を向けると、さっき店で買ってきたばかりのフェイクファーを頭から被り大股で家路を急いだが、思った以上に降りしきる冷たい雨のせいで玄関のドアを開ける頃には濡れた野良犬の姿に成り果てていた。

月に変わる街灯。
濡れ犬に変わる人間。

明日の朝、ベッドで目を覚ましたら自分が巨大な毒虫に変わっていたとしても、さして驚かないような不条理の世界で、たしかな未来など何一つない。環境負荷のことを考えると、人間が生きている価値さえもたしかではないけれど、かといって自分の存在を丸ごと否定することができないのもまた、人間である。ほとんどすべての人間が吐く言葉は、それぞれのポジショントークにすぎない。まるで何かにすがり付くように自己表現や芸術を追いかけ、人間を求め続け、やがて自然に還っていくだけなのに。その過程で莫大な副産物を生み出しながら人間はどこかへ向かって進んでいく。自然と一体化することは人類にとって未だに困難であり、それを以て「生きることは悲しい」とも思える。矮小な性(さが)と渇望を抱え続けたまま「人は何にだってなれる」と呟いてみたところで、人間は人間のままである。しかし、どれほど諦念にまみれながら日々を生きるのだとしても、渇望はいまだ止まず。

22年勤めたビームスを僕は辞めることにした。
グレゴール・ザムザは虫に変わらなければ、そもそも何になりたかったのか。僕は、この期に及んでまだ洋服屋になろうとしている。

Satoshi Tsuruta

International Gallery BEAMS Staff鶴田 啓

熊本県出身。1978年生まれ。1996年、大学進学を機に上京するも、法学部政治学科という専攻にまったく興味を持てず、飲食店でアルバイトをしながら洋服を買い漁る日々を過ごす。20歳の時に某セレクトショップでアルバイトを始め、洋服屋になることを決意。2000年、大学卒業後にビームス入社。新宿・ビームスジャパンのデザイナーズブランドを中心に扱うメンズフロア(当時)に配属となる。2004年、原宿・インターナショナルギャラリー ビームスへ異動。アシスタントショップマネージャーとして店舗運営にまつわる全てのことに従事しながら、商品企画、バイイングの一部補佐、VMD、イベント企画、オフィシャルサイトのブログ執筆まで手がける。2020年よりビームス銀座店勤務。社内外へ活動の場を広げながら、ますます精力的に執筆や商品企画に取り組んでいる。ワードローブのモットーは「ビスポークのスーツからボロボロのジーンズまで」。趣味は音楽・映画・美術鑑賞、旅行、落語、酒場放浪、料理、服。二児の父。