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部屋を片付けたら出てきた、懐かしのあのアイテムThe Harder They Come

要らない靴箱をじゃんじゃん捨てていたら、持っていることすら忘れていた靴が幾つも出てきて、久しぶりに履いてみよっかな?なんて気分になり、取り敢えず外に出して少し日干ししてみる。ふと目に留まったのはジョン・ムーアのシューズ×2。コンバットブーツは17年前?エスキモーダブルストラップブーツは3~4年前に買ったもの。コンバットブーツの方はグレーヌバック×黒スエードだったものをヌバック部分だけ黒に染めてオールブラックに変えて履いていた。ダブルストラップブーツは80年代の復刻。必ず純白のソックスと合わせていた。思えば2年前にジュディ・ブレイムが亡くなり、主要メンバーはみんないなくなってしまった。そう、THE HOUSE OF BEAUTY AND CULTURE(以下HBC)。ジョン・ムーアとの出合いは熊本にいた高校生時代。一軒のセレクトショップでベロがたくさんついたコンバットブーツを見て驚いた。4万の靴はバイトもしてない高校生には高すぎたので上通りの「Labors」(だっけな?)でShelly's×Joe Casley Hayfordのマッドガードみたいなショートブーツを2万円くらいで買った。
1985~6年頃、ポストパンクのムーブメントから生まれたブティック兼アトリエ「HBC」にはゴルチェやマルジェラも通っていたというから、現代のファッションシーンへ与えた影響は計り知れないだろう。パンクオタクのキム・ジョーンズなんてLVでもDiorでもオマージュという形で「HBC」への愛を炸裂させている。レイ・ペトリのBuffaloと共振しながら、既存の美意識への反発をD.I.Y精神に乗せて一点突破しようと、クラフトな活動をしていた「HBC」。テムズ川沿いで拾い集めてきた鎖、骨、ボタンなどのゴミを材料にしてアクセサリーを製作したジュディ・ブレイム。90年代半ば、原宿にあった「Perv」のドアにはジュディ・ブレイムが作った骨のオブジェが引っかけてあったし、「Dupe」では引き裂かれたレースのグローブや叩き割られたLP盤をつなぎ合わせたネックレスを見た。軍靴モチーフのディテールを平和の象徴であるファッション靴に転換してみせたジョン・ムーア。クリストファー・ネメスが使っていた三菱製のミシンには「this machine kills fascists」というウディ・ガスリーのギターと同じ言葉が書き殴られている。僕が上京した1996年、ラフォーレ前には全身をネメスやヴィヴィアンで固めた若者がたくさんいたけど、現在は彼ら、何を着て何をしているんだろうか?
何年か前にオタクな後輩と「今度、多摩川の河川敷でゴミ拾ってきてジュディ・ブレイムごっこやりましょうよ」「いいね、やろうやろう!」なんて交わした約束は、まだ果たせていない。タンスの中にはネメスのシャツもジュディ・ブレイムのプリントTも、まだ眠っているはずだ。僕の中にもまだ、与えられるだけのファッションに対するムカつきが残っているのだとしたら、なんて思いながら取り敢えずコーヒーを一口、飲んだ。BGMはジミー・クリフだろうか。