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育てた/育てたい秋冬アイテム育たないけど味のある鍋

先日、有楽町の無印良品でステンレス製の一人用両手鍋を買い求めた。前々からこの一人用両手鍋に勝手な憧れを感じていたものの、なんとなく機会を逸していた僕はたまたま通りすがりに覗いた売り場で「シンプルで無駄なく、値段も手頃でなおかつ日本製」というちょうどよさに牽かれて、同じくステンレス製の小ぶりなお玉とセットで購入した。「一人用」がよいと思い込んでいる理由はおそらく、20代の頃に読んだ『男の作法』をはじめとする池波正太郎のエッセイに端を発しているものと思われる。池波先生による食事の描写は40代になった今、自宅にて一人酒を無性に飲みたくさせる。鍋を購入した晩にさっそく僕が作ったのは小鍋だての「ねぎま」。酒、醤油、みりん、出汁で少し甘めに味付けしたつゆを鍋に張り、スーパーで買った安い鮪のサクをぶつ切りにしたものとグリルで焦げ目をつけた白ネギを投入。さっとひと煮たちさせれば出来上がる、超・簡単レシピ。『味と映画の歳時記』に学ぶならば、4種類も5種類も欲張って具を入れないこと。あくまでシンプルなのがよい。鍋のまま食卓に運び、七味を振って食べる。残ったつゆに〆の蕎麦を入れるのもいいだろう。辛口の日本酒を飲むのが本筋なのだろうが、この日は冷やした白ワインとともに頂いた。五代目古今亭今輔が得意とした落語「ねぎまの殿様」を思い出すような、素朴で美味い町人の味。冷蔵庫のない江戸時代には脂身が多くて捨てられていた大トロで作るものだったらしい。このつゆにトロの脂が溶け出せば更に旨かろうが、財布事情がむしろマズくなるので現代の町人である僕には安いビンチョウマグロでも充分だ。

いままで我が家では結婚祝いで先輩から頂いた九寸の伊賀焼土鍋を使っていた。土鍋はいきなり火にかけると割れてしまうので、下ろし立てのときはまずお粥を煮る。粥のでんぷん質が土鍋の隙間に入り込み、糊の役割を果たすことで割れない鍋になるのだ。10年使い込んだ我が家の土鍋はすっかり年期の入った味のある顔をしている。ステンレス製の一人用鍋は傷もサビも付きづらい平坦な顔をしているが、まぁそれでも「ひとりで勝手に食べる、飲む」という気軽さが、家族で囲む鍋とはまた少し違う味わいでもある。冬になれば太った牡蠣でも買ってきて、ささがきのごぼうか何かとつゆで煮て卵でとじて、上に三つ葉を散らして山椒を振って食べればさぞ旨かろう。一人鍋は、他人に気を使いながら生きる現代のオヤジたちに「自分勝手な時間」という贅沢をくれる。